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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

千葉雅也『デッドライン』読了

読書について 2024年8月13日

千葉雅也『デッドライン』読了

 今現在、過去の流れから、カント『純粋理性批判』と格闘している。現在4分の1といったところか。あと1ヶ月はかかるであろう。これと並行して、意識して小説を読むことにした。そして、それが、千葉雅也の初小説『デッドライン』なのであった。

 千葉雅也氏とは、2023年の新書大賞を獲得した名作『現代思想入門』が出会いである。かなり砕けた言い回しで、しかし、わかりやすく現代思想の流れとそれぞれの関係性、読み方、有益な参考書などが記してある。現代思想への導きとして、のちに辞書的に使うかもしれない。書籍を読めば筆者の略歴が目に入る。そして、他の著書も。で、氏は小説も書くと言うこと、そしてそれが芥川賞候補や野間文芸新人賞・川端康成文学賞、などを受賞していることを知る。さらにゲイであることも。俄然興味が湧く。これは読まなきゃならん!

 

 で、本作である。

 2001年内部進学で大学院に進んだ「僕」の専門は現代フランス哲学。映画制作の手伝いをし、親友と深夜ドライブに行き、発展場で行きずりの出会いを楽しむ。論文執筆がいよいよ始まる。ドルーズ=ガタリ『千のプラトー』である。「動物への生成変化」。自由になる。それは動物になること。最初は順調に進むが、第二章で「僕」は躓いてしまう。全く書けない。時間だけが刻まれる。「デッドライン」は近づく。執筆できない苦悩から修士論文指導者「徳永先生」に「僕」は相談へ行く。そこでゲラに目をとした先生は、次の引用を指摘する。

 ところが、まず最初に身体を盗まれるのは少女なのである。そんなにお行儀が悪いのは困ります。あなたはもう子供じゃないのよ。出来損ないの男の子じゃないのよ……。最初に生成変化を盗まれ、一つの歴史や前史を押し付けられるのは少女なのだ。次は少年の番なのだが、少年は少女の霊を見せつけられ、欲望の対象としての少女を割り当てられることによって、少女とは正反対の有機体と、支配的な歴史を押し付けられる。

そして先生は言う。「少女の尻尾を探すんです」

「僕」は事故のセクシャリティーが拒み拒まれていることに、自負と存在意義を持とうとしている。自分の欲望は男性に向けられるも、自分は少女になりたい一方で、男性にもなりたいと思考する。「僕」の中で、ドゥルーズが真の意味で結実する前に、一時的に方向を見失っている模様だ。まるで、芋虫が蝶になる経過段階としてサナギのように。

「僕」は書けない。「デッドライン」は超えてしまった。結局修士論文は提出されない。と同時に父の会社が不当たりを出す。突然、あらゆる不安の中に落とし込まれる「僕」であるが、そこに光明を差し伸べたのは母であった。「どうにするから、やりなさい」。僕は引っ越し、車を処分し、服を捨て、本を処分する。身の賭けにあったサイズになる。そこで終わる。「少女のっ尻尾」とは何か? 掴めたのか? いつの日か掴めるのか? 宙ぶらりんである。小説は全てを解決する必要はない。これは作者が我々読者に与えた課題なのだ。「さあ、この先はあなたが主人公です。この問題を引き受けてこい続けてください」と。

 さまざまな魅力的なシーンが満載である。親友「K」。知子。先生。そこで提示される哲学的なエピソード。また、逆張りとしてのダンサー志望の「純ぺい」。細かや煌びやかなエピソードにまぶされながら「僕」の生は前に進む。新しい青春小説の世界が開示されたのだ。

 

 ちなみに、本作は芥川龍之介賞に届かなかった。つまり、最終選考で落とされた。芥川賞の意味は優れた新人を発掘し世に出すことであろう。とすると千葉市はもうすでに哲学の世界で、あるいは学級の世界では実績を残し、そこそこの有名人でもある。東京大学で博士号をとっているそ、パリに2年ほど留学している。サバチカルでアメリカ生活もしている。のちに優れた作品の残す流行作家が芥川賞を取れないという現象は昔からある。太宰治、村上春樹、島田雅彦?等々。選考委員は言葉が達者な人たちであるから、落選の理由はいくらでも捏造できる。文体がどうの、構成がどうの。でも、嫉妬なのではないか? 

 最近「いくら君」は千葉雅也ブームである。彼の表現・彼の思想にもっと深く陥入したい。そんな欲望を抱かせる作家の発見であった。

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