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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

山陰旅行

旅について 2023年5月20日

山陰旅行

 

 

30年来の文学研究会「芥研」の先輩、千葉在住の長谷川氏から山陰旅行の話をいただいた。当然、二つ返事で「OK」とラインで返信。手配は長谷川氏が全てしてくれる。決行は2023年5月16日(火)からの2泊3日。

 16日朝、長谷川さんが千葉からわざわざ横浜の拙宅へ車で迎えにきてくれた。朝8時ちょい過ぎいざ出発。東名から第二東名へ。浜名湖で昼食&給油。運転交代。名古屋、京都、大阪を経て山陰へ。本日は島根県にある三朝温泉依山楼岩崎にご厄介になる。ホテル到着17時ごろ。長谷川さんの千葉の自宅からは休憩含め約11時間オーバーの長距離ドライブであった。

 穏やかな川に面して建てられた、皇族もご利用なさる由緒あるホテルである。ほんの少し城崎温泉に似ている。あれほど繁華ではないが。ここのホテルを利用する客の多くは、ホテルより車で15分程度の距離にある「三徳山三沸寺の投入堂」が目当てのようだ。険しい山道を越え幾多のお堂を通過し最後に見上げるのは「投入堂」。どう考えてもあんな険しい岩場に存在するのが不思議であるから、役行者が絶壁の岩場に投げ入れたと言われるお堂だ。平安後期のものと言われ、現存する神社建築では日本最古級のものと言われる。この日はお風呂で身を清め、立派なお食事をいただき明日に備える。

 

 17日5時起床。朝風呂と洒落込み朝食を済ませ気合いをいれる。とにかく鎖場のある険しい霊山。単独行はダメ。サンダル等はダメ。雨の日は入山不可。ストックも根を傷つけるため不可。食事、タバコ、トイレ禁止、等々、厳しい掟の中で、長谷川さんは地下たび、私は登山靴を履いて登山参拝事務所で入山の許可を得る。

 大変な斜面である。岩場あり、鎖場あり。それを経て幾つものありえない険しい場所に建てられたお堂を通過し、約1時間半後、目の前に現れたのは岩場の凹みに建築された「投入堂」である。あんな所にお堂が。巨人がポイっと投げ入れたとしか考えられないような謎の建築物であった。岩場で一休みし、写真を撮り願い成就し11時下山。下着肌着が汗でびしょびしょなので着替え一心地つく。

 鳥取砂丘へ向かう。約1時間のドライブ。駐車場に止め、昼食をいただく。私はバラチラシ、長谷川さんはカルビ丼。食後、砂丘を歩く、馬の背を超え絶景の日本海を愛でる。気温は33度、湿度35%。風は乾いているがやはり日差しはキツイ。砂丘会館で砂丘の成り立ちを勉強し、リフトで見晴台へのぼり、鳥取砂丘の全貌を眺めながらソフトクリームをいただく。時間があるので砂丘美術館でエジプト展を鑑賞するもまあご愛嬌。修学旅行らしき中学生多数。暑さにやられすぐ本日のホテルへ向かうことになる。西へ。「はわい温泉望湖楼」。高速を下り街へ入るが「はわい」であり、「羽合」とは決して表記していない。まあ、昔からシャレでやっているのでしょう。宿はその名の如く「東郷湖」の岬先端に建てられたホテル。部屋からの景観が素晴らしい。一面の湖。遠く風情ある列車がコトコト走る。その背にそう高くない山々。部屋から見て西の山に陽が沈む。6階の部屋から部屋から見える湖面には男女それぞれの露天風呂が浮いており、ホテルと廊下でつかがっている。

 どちらの宿も様々なサービスを工夫しているが、こちらはちょっと面白い。温泉卵のサービス。ホテル一階の喫茶コーナーのような場所でネットに入った生卵を人数分受けとる。それを湖上の露天風呂隣にある、源泉掛け流しの桶に25分つける。その間はお風呂に入っていてください、とのこと。少し長めで30分くらいお風呂に浸かり、卵を所定の箇所に持参するとビール(麦茶)のサービスで卵をいただく、という趣向。少し時間が過ぎ固くなってしまったが、当然美味。ビールも美味い。

 我々の世話をしてくれる中居さんは外国(多分中国)の方。若い女性。片言にの日本語で精一杯おもてなしをしてくれる。心遣いが細やかで少し感動する。豪華な夕食をいただき、年寄り二人は部屋ですぐさま撃沈。

 翌朝、チェックアウト時にフロントマンから、中居から伝言がありますと可愛らしいメモをもらう。あの中国人の女性だ。精一杯丁寧に書いたと思われれる優秀な小学生のような文字でお礼と今後の我々の幸福を祈念してくれていた。とても素晴らしいと思う。おそらく、彼女の自主的行為であろう。感動する。

 2泊3日の最終日(5月18日)のメインは鳥取の霊山大山麓にある大山寺の重要文化財阿弥陀堂である。ここは毎月18日のみ拝観可能とのこと。当然長谷川さんはそれを狙ってきたのだが、本堂から川を越え山中15分ほど歩いて辿り着く。中には丈六(2m66cm)の結跏趺坐する木造阿弥陀如来像が安置されている。天承元年(1131年)作ということだから平安時代末。900年前の作である。巨大且つ美しく、こんな素晴らしいものが京都や奈良にあれは大変なことになるなあとため息をつく。伯耆国大山寺で月に一度しか拝観できないのがよりありがたい。

 11時車の戻り、いざ出発。帰りも長い旅だ。兵庫のSAで昼食をとり、浜名湖で給油をし、いざ横浜へ。東名が途中少々混んだがまあまあ順調に拙宅へ。19時着。長谷川さん、ありがとうございました。とても楽しく勉強にあるいい旅でした。これから長谷川宅まで2時間近く運転が続きますが申し訳ありません。ありがとうございました。

 

 

 

“山陰旅行” への2件のフィードバック

  1. 長谷川充 より:

    楽しい旅でした。
    また宜しくお願いします!

  2. ikurakun より:

    来年度はお互い時間があると思うので、旅のお供にしてください。

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