昨日の「芥研」 「先生とシイタケ」(長谷川充)
昨日、14時よりズームにて「芥研」が開催された。お題は「先生とシイタケ」、発表は長谷川氏である。
『こころ』上巻で、「私」が父の病気の知らせを受け急遽「先生」に旅費を用立ててもらい国へ帰る。しかし、父は案外元気そうにしている。母は、「先生」にお礼として「今度東京へ行くときには椎茸でも持って行って御上げ」と言う。すると、「私」は「ええ、然し先生が干した椎茸なぞを食うかしら」と言い、「私は椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。」と感想を持つ。(上22) なぜ、「私」は「先生と椎茸を結びつけるのが変」に感じたのか?これが今回の長谷川さんの切り口である。
『こころ』の先生のお宅での食事のシーは少ないがゼロではない。「私」の筆によると、奥さんと留守番をしたときにお土産でもらった「チョコレートを塗った鳶色のカステラ」(上20)。卒業祝いのご飯の後に出てきた「アイスクリームと水菓子」くらいである。「先生」の家で解く描写された食べ物はとても洒落たものだ。
『こころ』多くの二項対立で構成されている。都会/田舎、先生/K 、先生/父、男/女、今(明治44、45年頃)/その頃(明治20年代)等々。そこで学生である「私」は都会=先生、田舎=父と対比させ、先生的な世界観に憧れを持ち、父的な古い田舎に魅力を感じない。すると「椎茸」は、父的、田舎的、食べ物ということになろう。
長谷川さんは論点を三つたてた。
Ⅰ 椎茸が「私」の実家近辺の特産であるらしいこと。
Ⅱ 「椎茸」のイメージと「先生」のイメージとが「私」の心の中で対照的なものであること。
Ⅲ その他の作品における「椎茸」(的なもの)の扱い方
1 では椎茸栽培の歴史を提示し、明治時代は静岡が一位でその後九州や北関東で発展した。特に群馬は大正時代に県をあげて椎茸栽培を奨励した。また、「中」の最後「先生」からの遺書を受け取り、死の床にある「父」を「二三日」保たせてくれと医者に頼むところ(中十八)から、東京から汽車で一晩くらいで行けるところ、そんなに遠くないところが「私」の実家の場所であるところから「群馬」あたりではないかと推察した。
Ⅱ 「椎茸」のイメージと「先生」のイメージ だが「先生」「K」「私」ともに、「精神性」を強調する存在であり、「現実的新体制」(椎茸)とはかけ離れているという報告がなされた。
Ⅲ 芥川龍之介「葱」(T8) キリスト教の中で最後の審判で勝利を得るため現世的欲望は否定される、という話。また、道元『典座教訓』(1237年)を援用し、「先生」「K」「私」は西洋的敗北者?であり、偉そうなことばかり言わず、黙って「椎茸」を食え! というのが結論であった。
Ⅲについては論理の飛躍や結論へ導くまでの強引さが目につく再考の必要性を感じた。
以上
次回は十月十四日(土)。14時。ボードリヤール『象徴交換と死』(片岡氏)です。