西研「カント純粋理性批判」100分で名著
長く、柄谷行人の著書に関わっている。順番としては、あまりよくないのだが、『世界史の構造』『力と交換様式』そして、それらの原点でもある『トランスクリティーク カントとマルクス』と進んでいる(途中、関連文献や関連書に手を出したが)。この本は一部で「カント」を扱い、二部で「マルクス」を取り上げている。数日前、一部つまりカントの項を読了した。難しい内容であった。とてもカントを分かった(そんな日が来るかわからないが)と言える状態ではなかった。用語の難しさがある。それを辞書で引き確認してもどうにもしっくりこない。このまま「マルクス」に行ってもダメだと思い、「カント」『純粋理性批判』の入門書にあたり、ざっくりと全体像を掴むべきだと判断した。まず最初に手にしたものは、竹田青嗣『完全解読カント『純粋理性批判』』である。前書きからパラパラ見ていると、これも相当に難解そうである。もっと超入門書的なものははないか。そこで出会ったのが、難解な哲学を優しいく解説する手腕に優れた西研のNHK100分de名著「カント純粋理性批判」である。
通読した結果、カントがこの本で言おうとしたことの概略が掴めたような気がする。当初「認識」という言葉がやはり掴めずにいた(この言葉は三島由紀夫の所作品、特に『金閣寺』における柏木の認識、また『豊饒の梅』の副主人公たる「本多繁邦」の認識論、そして彼の惨めな終末、などの考察に必須の考え方である)。
どうにか西研の導きで「人間は何をどのように認識しているのか、その時理性はどのように働くのか」という「認識論」の第一歩を理解した。カントの問題意識は人間が認識できる世界(現象界」と認識できない世界(物自体・叡智界)を区別し整理したこと、さらによく生きるための自由や道徳に対する考察などであることをある程度理解した。
今後また、柄谷行人『トランスクリティーク』第二部に戻り、マルクスの箇所を読んだ上で、『資本論』第一部に手をつけたいと思っている。また、そのうち「カントに」戻ってくると思う。