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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

千葉雅也『勉強の哲学』読了

読書について 2024年5月1日

千葉雅也『勉強の哲学』読了

 筆者「千葉雅也」は、フランス現代思想の研究者であり、立命館大学教授であり、小説家でもある。ドクター論文のテーマが「ドゥルーズ=ガタリ」だというから、フランス哲学あるいは言語論(ビトゲンシュタイン)を掘り下げてきた人のようだ。1978年生まれであるから現在45歳。本書上梓が2017年4月であるから30代後半の作品ということになる。

 本書は4章に分かれ展開する。

 1章「勉強と言語」我々は通常社会のコードに支配され日常を過ごしている。勉強とはそのコードを破壊することである、と筆者は述べる。「勉強とは、自己破壊である」と。「ラディカル・ラーニングとは、ある環境に癒着していたこれまでの自分を玩具的な言語使用の意識化によって自己破壊し、可能性の空間へ身を開くことである。」

 さらに2章では自由になるための思考スキルとして、「アイロニー」と「ユーモア」を紹介する。「根拠を疑って、真理を目指すのがアイロニーである。根拠を疑うことはせず、見方を多様化するのがユーモアである」。さらにこう付け加える。「勉強の基本はアイロニカルな姿勢であり、環境のコードをメタに客観視することである」が「アイロニーを過剰化せず」「ユーモアへ折り返す」ことを筆者は薦める。アイロニー過剰は絶対真を得たいという、実現不可能な欲望に支配されることに繋がるからだ。つまり、「言語はそもそも環境依存的でしかないということを認め」なければならない、絶対真に向かうのもいかんのである。

 3章「どのように勉強を開始するか」?そのためには「まず自分をメタに観察し」「現状に対する別の可能性を考える」必要がある。つまり「環境のなかでノっている保守的な「バカ」の段階から、「メタに環境をとらえ、環境から浮くような小賢しい存在になることを経由して、メタな意識を持ちつつ」「享楽的こだわりに後押しされてダンス的に新たな行為を始める「来るべきバカ」になる」のだ。

 第4章「勉強とは、何かの専門分野に参加することである」。まずは入門書を複数通読し全体像を掴む、そこから深入りしていくのだ。しかし、筆者は優しい。というのも「完璧な通読」はできないという意識で取り組め」といってくれるからだ。さらに読書の基本的方法は「これまでの自分の実感に引きつけて読もうとしない」ことである。勉強においてはテクストを文字通り読み、「自分なりの理解」と「どういう文言で書いてあったのかを区別しなければならない」。なぜならこの区別を曖昧にしていると知らぬ間に剽窃してしまうからだ。その防止に「読書ノート」を作るとともに「出典」を伏すことが大切だ。そのための、日々ノートアプリに向かう必要性を訴える。

 前半は理念的に、後半は実践的に勉強とは何か? 勉強をすることの意味。さらに勉強の仕方を具体的に提示してくれる。筆者はまだ若いがこれからさらに世界の言論あるいは哲学界さらに小説界をマルチに遊びながら知的リーダーとして成長していく人物であると確信する。

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