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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

母と認知症と糠漬け

その他のこと 2024年5月12日

母と認知症と糠漬け

 

 毎日顔を合わせる息子である「いくら君」から見て,母の認知症は進んでいる。

 母は愛情表現が下手な人である。しかし,東北の寒村から出て,都会で住み込みのお針子の仕事をし,父と出会い,私と妹をもうけた。

 母の実家は水呑で貧農子沢山。漬物と米とたまの干物くらいしか,口に入るのもはなかったと言う。

 だからかどうなのか、母の料理は美味かった。テレビを見ればメモをし新聞を切り抜き自分なりのレシピ集を作り,自分が子供の頃には見たことも聞いたこともないような料理を我々兄妹に食べさせてくれた。

 父は酒飲みである。そして彼はなかなか味にうるさい。だから彼女はつまみも工夫した。

 梅干しもつけたし,ラッキョウ梅酒,糠漬け等々。

 一日中動き回り,針仕事をし,料理を工夫し,花に水をやり,洗濯をし掃除もし,休むことを知らなかった。子年の特性か? 

 86歳まで我々夫婦とともに畑へ行き,三分の一以上の仕事をした。収穫・支柱立て・草取り。

 彼女が草を抜くとそこから新しい草が生えるまで時間がかかった。仕事は早くしかも創意工夫に満ち,丁寧だった。

 2年前の夏草むしり後に具合が悪いというので医者に連れて行った。心筋梗塞即入院。2箇所ステントを入れ,3週間後に退院した。コロナの影響でその間,顔を見ることすら叶わなかった。

 別人のように痩せた。気力が失せたようだ。散歩もせず,窓際でいつも死んだような目でぼんやりしている。何を考えているのか?何も考えていないのか?ふわふわとした世界に漂っているのか?それは心地いいのか,不快なのか,あるいはそれすら感じないのか?

 俺は仕事を辞めた。母の問題とは関係はない。妻が仕事の日は,当初母が昼食を作ってくれた。

 昔の母の料理は,味はもちろんのこと,見た目も華やかで美しかった。私より10歳年長の従兄弟「清さん」は数年前俺に話してくれたことがある。

「おばちゃんのご飯は美味しかったなー。田舎では見たこともない,味わったこともない,ご飯を俺に食べさせてくれた。ホントおばちゃんの料理はうまかったなぁ」

 ちなみに彼は米農家以外に料理人として店を2件持っていた。

 数ヶ月前,久しぶりに母が昼飯を作ってくれた。驚いた。ショックだった。というのも飯が汚ないのである。そして不味かった。これは母の仕事ではない。悲しくて情けなくて仕方がなかった。次から2人の時は必ず俺が昼飯を作った。大したものではない。ラーメンとか,焼きそばとか,ウドンとかそんなもんだ。それを食べてくれる時もあるし,食べてくれない時もある。

 そういえば最近漬物が出ない。母に確認してみた。去年の夏,糠床をダメにしたと言う。でも今仕込んであるから。もうそろそろ漬け始めてもいいから。

 畑でいいカブができた。母に渡した。しかし数日経っても食卓に上がらない。糠床を見た。表面はカビが生えていた。カビを取り,中に手を突っ込むと,浸かりすぎたカブが出てきた。食べてみたが喰えたのものではない。捨てた。涙が出た。

 翌日から俺はうちの糠漬け担当?管理人?になった。

 母は俺の作ったものを、気に入れば喰う。口に合わない場合,少し箸をつけるだけ。そして俺の目の前で大量の残飯を平気で捨てる。最初は頭に来た。でも,彼女はもうすでに我々が考えているものとは違う世界の住人になってしまったようだ。ようやくそれに気がついた。

 俺は美味い漬物を作らねばならない。彼女の味覚に合う昼飯を(たまにだけれど)作らねばならない。出ないと容赦なく捨てられる。俺はそんなに偉そうに言えたものではない。妻がもっとも大変だ。感謝している。

 

子に帰る米寿の母より引き継ぎし糠漬けの味涙のそれよ

 

斑らなる母の作りし糠床に萎びたカブを見つけ決意す

 

米寿すぎ時の重みに解かれつつある母託す糠漬けの技

 

 そういえば今日は母の日だった。

 あとで花でも買ってこよう。

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