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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

非日常あるいは伊豆

旅について 2024年6月14日

非日常あるいは伊豆

  年金生活者である。お気楽なものだ。畑仕事と読書が日々の中心である。

 しかし,それは日常生活である。日常はルーティンであるから禍の時間だ。知らぬ間に澱が溜まる。沈殿する。謎の不快感や体調不良が自らを侵す。

 40年来の友人に会いに行った。彼は川崎の家から河津の別荘に少しづつ軸足を移動させている。その彼から誘いがあった。私は抱えきれないほどの野菜を車に乗せ。河津に向かった。

 不思議なほど満たされていた。解き放たれているという実感に包まれている。沼津まで東名をのんびり80kmで走った。ラジオからは荒井由美の「あの日にかえりたい」が流れていた。涙がこぼれた。別に若い頃に戻りたいなどと思っているわけではない。若さなど夾雑物だらけで面倒である。削ぎ落とし身軽でいたい。が,ごくたまに心の隙間をついて,ノスタルジーが涙腺を崩壊させる。今日はその日のようだ。

 沼津ICで降り,市場内お気に入りの店「にし与」で昼食をとる。平日にも関わらず,この店だけ店外に待ち客が溢れている。美味くて安い。私には時間がある。何時までにどこどこへいかねばならぬ,などという縛りがない。すべて私の気分次第でいかようにもなる。待つこともまた喜びになりうる。当然のことではあるが,刺身は絶品であった。

 伊豆半島のど真ん中を走る。「湯ヶ島」はこじんまりとした文学たっぷりの温泉だ。川端がいて井上靖が,あるいは梶井基次郎が今もここには生きている。河があり山が迫る。緑の濃淡が目に眩しい。

 川端の出世作『伊豆の踊り子』が執筆されたことで「湯本館」は名高い。萎びたいい温泉宿である。本日は宿先で写真を一枚パチリでおしまい。

 さらに道を南下する。ワサビ田を目にすると発作的にハンドルを左に切り,旧道を走る。旧天城トンネルへ向かう。川端康成,松本清張,石川さゆり。この地をテーマにした作品は多い。作家の琴線に触れるただならぬ何ものがここにはあるのだろう。

 新道に戻りループ橋を超え,天と一瞬一体化する。

 踊り子が裸で「学生さん!」と叫んだ「福田屋」を横目に河津へ。友人は歓待してくれた。私を最も理解してくれている人間の一人である。

 2階の窓を開放し,爆音でJAZZを流す。2人とも口数は少ない。今朝までの雨が嘘のように穏やかな好天が広がる。風は爽やかだ。いつの間にか2人ともロッキングチェアーで居眠りをしていた。

 何も考えない。播種ことも土作りのことも草取りのことも頭をよぎらない。本を読まなければならぬ!という義務感もそこではない。ただセロニアス・モンクの奇妙な音階とリズムに身を任せている。

 山を越える風がなんともいえず心地よい。

 

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