斎藤環『生き延びるためのラカン』読了
先日、久しぶりに「電車に乗って」「都会」へ行った。何となく、TSUTAYAに入りなんとなく本棚を眺めていたら、本作と目があった。手に取り、購入即決した。ラカン? 精神分析? 医者?斉藤? 茂吉とか北杜夫の末裔? 調べても書いていない? どうなんだろう?
カント『純粋理性批判』に取り組むはずであった。前項で自己を鼓舞すべくそう書いた。でも、あらあらまた脇道に逸れている。まあ、いいか。
タイトルに「生き延びるための」なんて文言があるし、帯には「ストーカー、リストカット、ひきこもり、PTSD、オタクと腐女子、フェティシズム……「現代の社会は、何だかラカンの言ったことが、それこそ下手な感じで現実になってきている気がしている」。と本書からの抜書きがある。現代日本の若本に特有な現象をラカンの理論を通して解説してくれる本なのかしら。ではまあ、読んでみましょうか? カントに突入する怖さからの一時的逃避所として逃げ込んでみました。
でも、内容は、まあ、文体はかなりポップに耳障りよく書かれている。でいながら、ベタついた媚びが感じられないのは、著者が真面目な学究の徒であるからなのか? 面白かったです。よくわからない部分はやはりあるけれど(筆者が言うほどわかりやすく書けているとは思えない)、でもフロイトーラカンの流れはわかったような気がする。特に「言葉」ー「欲望」の関係性などは愁眉。しかし、このままでは「シニフィアン」の話はよくわからないのではないかな? なぜ対概念である「シニフィエ」について言及しないの? あまりソシュールに埋没しても、方向をも失うと判断したから? いずれにせよ、人間の「こころ」の不可思議性を理解すること、要するに「よくわからないのである」と言うことはよくわかった。エディプス・去勢などの精神分析の基本ワードの解説は役に立ちました。
さあ、カントに行かなければ。