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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

千葉雅也『オーバーヒート』読了

読書について 2024年8月25日

千葉雅也『オーバーヒート』読了

 相変わらず、カント『純粋理性批判』の最中。今,中巻半分くらい。まだまだ,ようやく「アンチノミー」に最下からあたり。核心部分だから,一句一句大事に読む。だから遅い。その遅さこそ胸を張るべき,と自分を慰める(励ます)。

 

 さて,カントと並走するのは,千葉雅也『オーバーヒート』(短編「マジックミラー」(川端康成文学賞受賞))である。

 「私小説の脱構築三部作」(本人のXより)第二弾。ここでの「僕」は京都にある大学の准教授。専門はドゥルーズ。独身。ゲイ(ネコきぼう)。

 恋人の晴人とのアンニュイな先の見えない関係が、小説の大きな柱。だが,そこに大学での同僚。地元群馬の友達。行きつけのバー。そしてそこでのナイーブな人間関係。などなど,たわいもないがキリリとしまったエピソードが絡み合って,話は進む。「僕」は言葉に犯された存在。ベースにあるのはイライラした空気感。だからこそ粗雑な生に欲情する。SEXのシーンは乾いた文章で快感も不快感も読者に与えない。そこにあるのは靭帯解剖の描写。冷徹でクールな言葉だ。どうしてそんな芸当が可能なのか?それは筆者が書きながら,その世界を客観的な視線で常に確認しているからだろう。自分自身をモデルにしてはいるが,その描かれ方は冷徹だ。しかし,たまに韜晦して見せもする。そこまでが芸(ゲイ)なのだろう。ひとこと一言が注目される。意味ありげな表現で読者を釣っているわけではない。そんなに安っぽくない。言葉が比喩が解釈がすべて芸になっている。

 読んでいて考えた。小説において,いや小説の言葉において,読者が頁を繰る,読者にページをくらせるエネルギーはどこから来るのか?どうやったらその緊張感を保てるのか?鮮度の高い言葉以外にはありえまい。

という意味において,千葉氏の言葉選びは熟考されている。勉強になる。あやかりたい。素晴らしい作品であった。

なんだかヤバイなー。千葉雅也信者になりつつある。

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