松永K三蔵『バリ山行』読了
第171回芥川龍之介賞受賞作。選評で島田雅彦が「登山の細部を丹念になぞったオーソドックスな「自然主義文学」をベタに書いてきたところが評価された」とあり,ここに島田のシニカルを感じた。要は彼流のレトリックです小馬鹿にしているな,と思ったわけだ。
そこで,興味を持ち頁を繰った。すでに「文藝春秋」を買っていたため,それで読み始めた。
しかし,読み進めるうちにあまりに,上手いし面白いので,筆者に敬意を払い単行本も購入。
小説は言葉による建築物であるから,物語の中では様々な二項が絡み合いながら,三次元空間を生み出す。本作の二項も様々なバリエーションを持つ。
建物の外装の修繕を専門とする「新田テック建装」社員でいる私は,内装リフォーム会社から転勤して二年(内と外)。内装時代は飲み会など仲間との関係を拒み,それが遠因となりリストラされたため,今の会社では比較的人間関係構築に余念がない。
社内登山部に誘われ,複数人で登山道をワイワイ言いながら登る登山に徐々にはまっていく「私」。と同時に単独行を行う「妻鹿さん」。
二台目社長と藤木常務との間に経営方針から亀裂が入り,藤木常務が去った後は会社は傾いていく。
仲間との付き合いを大切にする「私」(大人数で登山道を歩く登山イコール決められたルートからはみ出すことはない),独自の路線を行く孤高の妻鹿さん(単独で道なき道を行く)。
様々な項目が絡み合いながら物語は進む。
やはり真骨頂は,私と妻鹿さんによるバリ山行のシーンだ。とにかく筆者の描写力は秀逸である。上手い。特に山の中の滝や苔の描写は大変魅力的である。その美しい自然も筆者の筆にかかれば,暗く恐ろしいモノに反転する。
バリルートと決められたルート。妻鹿さんと私。必死に会社にしがみつこうと喘ぐ私と孤高の妻鹿さん。
とにかく二項が効果的に上手く絡み合いつつ,ここぞと力を入れた時の描写のうまさ。それによりリアリティを感じながら,グイグイこの小説世界に引き摺り込まれていく。
しかし、捻くれ者のいくら君はあまりに面白い本作を手にしながら,こう思うのだ。「こんなに上手く分かりやすく面白いのはいけない。ダメだやりすぎ」。
素直じゃないね。嫉妬かな。もう少しゴツゴツしたところが必要だ,などと文句の一つも言いたくなる,そんな完璧な芥川賞作品なのでした。