今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』読了
まず、一言。
本書は大変な名著である。
オノマトペ研究から始まり二人の研究者は、誇大妄想的に(失礼)論を深め「言語の本質」にまで考察を進める。
今井は発達心理学の立場から、秋田は言語学の立場から、二人の研究は進む。
言語学では扱いの低い「オノマトペ」研究が旅の始まりである。もふもふ、カリカリ、ツルツル、などのオノマトペは直感的にある感覚を我々に与える。当然、言語取得初心者である子供が最初多用するあの「オノマトペ」である。オノマトペは言語以上に言語的である。例えばモフモフ。この語自体は全く意味がない。にも関わらず、柔らかい・手触りが優しい・などの感覚を我々に想起させる。難しい認識がなされない子供でも直感的に「わかる」。母語が日本語でない人に理解されるという。つまりある種の「アイコン性」を備えているのだ。
子供が最初に理解し使用するオノマトペだが、彼らはいったいどうやって、複雑なシステムである言語を獲得していくのだろうか? ただ、単語の意味を覚えるだけではない。その動作はあまりに膨大である(AIにはできても人間にはできない)。しかし人間には、AIにはできない、敷衍していく能力〈推論〉がある。子供は「りんご」を、見・触・食などの行動から得られた認識と言語を紐付け言語を獲得していく。つまり「人間は、記号が身体、あるいは自分の経験に接地できて」初めて学習できる(記号接地)のだ。そして「すべての単語、すべての概念が身体に接地していなくても、最初の端緒となる知識が接地されていれば、その知識を雪だるま式に増やしていくことができる。一旦学習が始まると、最初はちっぽけだった知識が新たな知識を海、どんどん成長していくことができる(ブートスタラッピングサイクル=靴(ブーツ)の履き口にあるつまみ(ストラップ)を自分の指で引くと、うまく履くことができる=〈自らの力で、自信をより良くする〉)193頁。そうして人間は膨大かつ複雑な言語システムを獲得していくのである。
言語接地がなされると様々な推論のシステム(アブダクション推理)が起動し、学習が学習を呼ぶ。誰しも子供の頃偉人伝などで「ヘレン・ケラー」の言語学習のきっかけを目にしているであろう。サリバン先生は、ヘレンの掌に、ことあるごと、その言葉を英語で綴っていた。最初ヘレンはそれの意味することが理解できなかった。しかし、冷たい水を手に受けながら「Water」とてに綴られた瞬間、彼女は、〈ものとしての「水」と言葉としての「water」が一致した〉のである。つまり言語獲得の端緒を手に入れたのだ(記号接地)。そこからは、ブートストラッピングサイクルによる学習効果で自己増殖的に言葉や概念を身につけていく。
あくまでこれは一つの仮説に過ぎない。だが、なんとも説得力のある魅力的な仮説ではないか?
繰り返す。大変示唆に富んだ名著である。