logo メニュを開く

畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

夏目漱石『こころ』読了

読書について 2024年12月26日

夏目漱石『こころ』読了

 先日12月21日(土)に芥研がオンライで行われた。今回から、長谷川氏による。「こころ」論集が始まる。この研究は、現在某出版社から出版予定であるが、著者と編集集者側との折り合いがつかず、現在ペンディング状態にある。そこで、世に出る前に芥研で揉んでやろう、と、このシリーズに入ることになった。何回やるのか。3〜5回はいけるだろう。その後に、私の創作ということになるだろう。

 で、「こころ」を読んだ。いったい何回目だろう。十数回?二十数回? まあ、そのくらいか。発表されて今年で110年になる。近代文学の一つの到達点であり、その後の指針ともなった作品であり、高等学校教科書にも採用されており、ほとんどの高校生がたとえ一部にせよ読んだことがある作品である。新潮文庫の総売上トップ(ちなみに二位は太宰治「人間失格」)。ロングテイルで読み継がれるのは教科書再録の影響もあるだろうが、作品自体に古びない普遍的問題が隠されているから、ということになるのだろう。

 再読するたび、新しい気づきがある。昨年読んだときは作品内に散りばめられた二項に目が行った。昔ー現代 若者ー中年 男ー女 等々。キリがないほどさまざまな二項が散りばめられ作品世界の層の厚さとなる。

 今回は割とサラッとやったが、この作品世界の重奏性に改めて唸らされた。何度もよlということは、あまりに地層が厚いため、全てに神経が回らず、今回はこの地層に注目して読む、次回は別の層に意識がいく。という感じで読めるのではないか。そんなことを考えた。それも新聞連載である。連載終了後すぐ漱石自身が岩波と交渉し書籍化している。地震でキャッチコピーまで作って。漱石には珍しいことだ。相当この作品に入れ込んでいた、というか、書き終わった父にずっしりと手応えを感じたのであろう。

 漱石は、「こころ」で一つの到達点を迎えた。その後「道草」で自分の根源的問題を突き詰め、彼なりの本格小説『明暗』に挑むことになる。が、道半ばで命が尽きてしまう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


TOPへ戻る