『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(金間大介)読了
バルトの『明るい部屋』と並行して読んでいた。バルトは論理が難しく表現が特徴的なのでなかなか頭に入らず、何度も何度も一箇所を振り返るようなことがあり、なかなか進まなかった。
そんなとき、本書を手に取り、そうだそうだと、納得しながら、心を落ち着けさせた。
昨年度まで高等学校の国語科の教員をしていた。再任用で転勤した2年勤めたその学校はとてもいい学校だった。鐘がなる前に席につき、当然教科書や資料プリントは机の上に出ており、みんな一流大学進学を目さして一生懸命勉強し、私語もなく。。。
みんなマスクをし下を向いている。誰も発言しないし、質問もしない。だから顔と名前が覚えられない。気軽に声をかけることもなく、なんとなく他人行儀で時を過ごす。みんな静かだ。だが、私の話を魂で受け止めていた生徒はいくらもいないだろう。みんな、共通テストでどれだけ点を取るか、そんなことばかり考えていた。(共通テストは全部選択肢だ。つまり答えがある。彼らの作業は、文章を読み解くことでも、自分の人生を深く考えることでも、心震わせることでもない。つまりこの5つのうちどれを選ぶべきか、その効率的な方法論を学びたいと考えているようだ。(これは俺の妄想の部分もある。反省する必要はある)
だから、私の授業はとても無意味なものに思えたらしい。だけど、「いい子症候群」だから、冷ややかに文句も言わず、笑顔も見せない。
で、
俺が精神的におかしくなった。身体症状にも出るようになった。だから、再任用期間3年を残し辞めた。耐えられなかった。
そんな「いい子症候群」の現在の若者を少しでも理解したいと、本書を手にした。
まあ、大体納得できた。その通りだと。しかし授業は相互作用だ。全く存在を無視されるような仕打ちを受けるということは、俺が教師としての資質に乏しかったということになるのか
あるいは努力。
「いい子症候群」あーいやだ嫌だ。