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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

柄谷行人『哲学の起源』読了

読書について 2024年3月27日

柄谷行人『哲学の起源』読了

 柄谷はいう。「『世界史の構造』は、世界構成体の歴史を「交換様式」から見る企てである。それは社会構成体の歴史を経済的土台から見たマルクスを受け継ぐものである」と。そして、『世界史の構造』でギリシアの時代に向き合った際、さまざまな研究をし思考を深めた。もちろん、彼ならではの新しい発見も豊富にあった。しかし、それを盛り込んでは『世界史の構造』の焦点がぼやけ破綻してしまう可能性がある。そこで断念していた考察を『世界史の構造』発表の2年度(2012)に、『哲学の起源』として新たにギリシャ哲学の発祥を中心に深掘りしたものが本作である。

 一般的にアテネはデモクラシーの起源であり、ソクラテスープラトンの系列が哲学の始祖である、といった理解されている。が、柄谷はその一般論に疑義を申し立てる。アテネはデモクラシーであったが、そこには奴隷制度があり、外国人はアテネ市民になれない。市民は政治活動で忙しく、労働を軽蔑している。それは奴隷がやることだ。デモクラシーとは所詮クラシー(支配)なのだ、という具合に。

 そのアテネに対立する形で彼が担ぎ出すのが、エーゲ海を挟んでギリシア対岸にイオニアだ(現在はトルコ西部)。イオニアにこそ、哲学の起源があり、また柄谷のいう交換様式Dが存在していた。それをイソノミアという。イオニアは真に自由で平等な国であった。彼らは植民である。つまり、氏族社会的な縛りから自由である。みな自分の土地を持ち労働し身分差もなく自由である。王は存在しない。合議制である。そのDの世界はまもなく、他国に侵略され崩壊するのであるが、イオニアの自然哲学の流れを持った人々がアテネや他のポリスで活躍する。その代表者がソクラテスである。ソクラテスはアテネ市民である。しかし政治に関与しない。それはダイモン(心の声)により、政治に参加してはならぬという命を守り、そして広場で誰かれなく語りかける。彼は何も教えない。ただ対話によって、相手の主張の矛盾をつき、その彼が自ら真実に気づくのを待つ(産婆法)。しかし、ソクラテスは民主派から訴えられ毒杯を仰いで死ぬ。著作は何もない。ソクラテスが目指した世界はイソノミア(無支配)であった。僭主を作らせないことである。しかし、弟子のプラトンが目指すものは哲人王(つまり哲学者が王になるか、王が哲学者になるか。いずれにせよ哲学者が国家を導くシステム)である。師匠と弟子では目指しす方向が丸切り逆である。しかし、プラトンはソクラテスの名をかり自身の哲学を著作として残す。

 世間一般に流布する誤解を解こうといういう試みだと考えても良いかも知れぬ。

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