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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

       いくら君のこころととのう日記
畑について 2023年11月8日

今日の仕事2 9号ポットに豆類まき

 

 本日の仕事②です。

 玉ねぎ植付け後、帰宅し、昼食前に、豆類の種まきをしました。9号ポットに種まき培土を入れてまきました。

 空豆が13ポット。あと、スナップエンドウ・キヌサヤ・グリーンピースが、それぞれ12ポットずつです。

 昨年は10月の下旬に蒔き、冬の気温が高かったため、徒長し、冬越しに失敗しました。結果、あまり採れませんでした。よって、今年は、去年より二週間遅く蒔いてみました。それでも、十分暑いですが。ちなみに、本日は立冬です!

 昨今の、気温上昇というか、高温つづきにはまいります。単純に夏の暑さに、また、その長さに、辟易しますが、野菜の教科書通りに蒔いたり植えたりしていてはうまくいかない場合が多々あります。個々人でさまざまな工夫が必要です。家庭菜園家にも大変な時代が到来しています。

畑について 2023年11月8日

今日の仕事1 玉葱苗植付け

 本日の農作業①

 九月半ばに、畑の隅に蒔いておいた玉葱が、苗として適切なサイズに成長しましたので、本日15センチ間隔の穴あきマルチに飢えました。

ちなみに種は、農園ユーチューバー「塚原農園」さんおすすめである、ダイソーの二袋で100円の種を蒔いてみました。ちなみにこれで三袋分です。種150円でどこまで立派な玉ねぎに育つか楽しみです。中手ですので五月の終わりくらいかな。

創作について 2023年11月6日

疲労回復

 9月10月,二ヶ月に渡って,二つのことを並行してやってきた。

 一つは小説を書くこと。もう一つが『象徴交換と死』の読解。ほぼ同時に始めたことが,ほぼ同時に,とりあえずの終わりを迎えた。

 小説は5月半ばに100枚程度のものを書いてみた。この時はとにかく誠実に、混じり気無しの文章を心がけて書いた。その後,平野啓一郎『三島由紀夫論』読了し,久しぶりに『仮面の告白』と,森鴎外『ヰタ・セクスアリス』を読み,こんな感じで書こうとイメージして次作の構想を練った。今度は、文章を少し跳ねさせようと考えた。そして,9月3日起筆で、十月終わりまでから取り組んできた。

 10月頭位が絶好調で,雷に打たれたような絶対的感覚で書き進んだ時もあったが,半ばからだんだん筆が進まなくなり,体調も芳しく無くなってきた。睡眠時間は確保されてはいるものの,質が良くない。寝ながら小説のこと,登場人物のことをずっと考えているという有様であった。楽しいのだが、苦しい。そのうち、小説を書いてる時間だけではなく、『象徴交換と死』を読んでいても,心拍数が上がり,深呼吸しても下がらないようになってきた。いつも呼吸が浅く苦しい感じ。サウナに行っても,ドキドキしてきて5分と入っていられない,という状況が2週間以上続いた。

 それでも,脱稿後2日おいてすぐ推敲に入ったのだが,3日でやめてしまった。まだ,ダメだ。推敲できるほど客観的状況に脳味噌が至っていない、というのが結論。

 こんなことして,いったいどんな意味があるのか?とか,まったく2ヶ月かけて反古の山を作っただけなのではないか?などの,否定的な言葉が頭に響き渡り、徒労感に絶望する時もあるし、また、いやいや、これをどうにか形にしなければ、と自己を叱咤する時もある。そう,今更,売れっ子作家になりたいとか,自分の作品を後世に残したい,などとは考えていない。しかし,ある程度のレベルまでは自分の言葉を引き上げたい。商品レベルとは言わないが,他者の目を汚してもそれなりの意味がある程度のものには引き上げたい,とは思っている。今の原稿ではまだダメだ。もう少し距離をおいて,頭を冷やしてから,やり直そう,と,開き直った。

 そうやって放置してから,4日が経つ。ずっと,「ヨーコ」や「ナオ」(登場人物の名前)が,24時間頭から離れなかったのだが,最近ようやく考えないようになってきた。ここ二日はよく眠れた。

 今,スカイスパの15階にあるソファーに横になって,これを書いているのだが,今日のサウナはいい感じでととのった。心拍数もさほど上がらず,上がっても,気持ち悪いというか,死ぬんじゃないか?という恐怖にも見舞われず,心地よくいい汗をかけた。

 言葉を紡ぐ作業というのはなかなか大変なのである。

読書について 2023年11月2日

金原ひとみ『蛇にピアス』読了

 

 言わずと知れた、金原ひとみのデビュー作である。彼女は本作で「スバル文学賞」と「芥川賞」をダブル受賞した。弱冠二十歳の時である。同時に、綿谷りさも『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞し、当時、最年少・女性とかなり話題になった。綿谷りさは正当的な可愛らしい女の子で、早稲田大学在学中。一方、金原ひとみは小4から不登校で金髪の痛い女の子。という対照的な存在であったと記憶している。芥川賞受賞直後『蛇にピアス』を1ページだけ読んでみた。スプリットタン(蛇とかトカゲみたいな舌)の話題で盛り上がる「アマ」と「ルイ」のシーンから始まる。私はその時、あっ、だめだ。とページを繰るのをやめてしまった。怖かったのかもしれないし、生理的に受け付けない、ということにしたかったのかもしれない。しかし、実は、若さや、才能、肩書きに、嫉妬をしていたのだ、と思う。へー、最近の若いもんはけしからん、みたいな世俗的頑固親父になって、心を閉ざしてしまった。しかし、彼女のこの作品はずっと心にのこっていて、いつか読まなければ、と思っていた。

 先日読んだ平野啓一郎氏の『本の読み方』に、本作が引用されていたため、すぐ購入し机の上にしばらく置いてあった。しかし、彼女の順番がなかなか回って来ず(大変な積読状態になっているため)、今回ようやく、彼女が私を呼び止め作品へと導いてくれたという次第である。

 前置きはいい。今回、読了後、倒れそうになるくらい驚いた。これは、大変優れた作品である。そして、あまりある才能を神から任せられたものですら若い時にしか描けない特別な作品であろう、ということを強く実感した。ピアス・刺青・セックス・SM等々、話題に事欠かない題材の上に本作は載っているのだが、でも、明らかに、作者は誠実に、誤魔化しなしに、主人公「ルイ」の痛々しい弱さに寄り添っている。いや弱さではない。傷つきやすい何か?でもなんだか違う。とにかく、とてつもなく感性の鋭い、世間の、あるいは自分の嘘を許さないナイーブな存在とでもいうべきか。

 生に違和感を持ちつつ、ピアッシングをしたり、リストカットをしながら、どうにか生を生き続け、そして、大人になって、現実的世界に適合し、私も若い頃は・・・、なんていう人間は多い。しかし「ルイ」の生きている世界は、その緊急度というか壮絶度が桁違いなのだ。人は人をここまで追い込めない。あるいは、ここまで追い込んだ人間は小説など書けない。しかし作者は両方を乗り越えている。あるいは並走している。

 今回、この文書を書くために金原ひとみを少し調べてみたのだが、芥川賞受賞が2024年。えっ?! 19年前! もうそんなに時間が経ったんだ。そんなに、私は長い時間、彼女のことが気になりながら、彼女の本を手に取らなかったのか、と、ため息をついた。二十歳だった彼女はもうすでに39歳? 結婚もし、お子さんもいらっしゃる。彼女は肉体的にも精神的にも破滅せず、現実世界にそれなりの適応をしながら書き続けている。いや、書くことが彼女を現実世界に繋ぎ止めているのだ。

 ああ、金原ひとみの今後の幸福と、小説家としての活躍を強く祈るばかりである。(2つは両立しないかもしれないが)。

サウナについて 2023年10月31日

床屋さん

 

 久しぶりに、お風呂の王様瀬谷店へ行ってきた。いくら君のホームサウナである。今日は比較的空いていて、のんびりすることができ、腰痛にも効果があったような気がする。我が街の駅から2つ先にある。

 昔は、我が街にも銭湯があった。娘が小さい頃よく連れて行った。しかし、時流には逆らえず、30年ほど前に潰れてしまった。その後、跡地にスーパーマーケットが建ち、現在に至っている。隣の駅には今でも昔ながらの銭湯が頑張っている。私も一度だけ行ったことがある。最も近いお風呂なのに、なぜ一度しかないのか? そこは刺青OKの店である。私が入った時に、それはそれは立派な倶利伽羅紋紋のお兄いさんが二人いらして丁寧に我が体を磨き立てているところであった。そこへ、もう一人大きな龍であろう輪郭のみ彫られている男が入ってきた。あらまあ、この人、痛いから途中でやめちゃったのかしら?と思えるほど中途半端な代物であった。さらに、おしゃれなタトゥーを入れた日本人の若者、さらに知らないデザインの刺青が入った子連れの外国人の男などが入ってくる。デザインが入っていないのは私一人であった。なんとなく、落ち着かなくすぐ出て帰宅した。というわけで、一回しか行ったことがないのである。

 さて、今日は、お風呂の話ではない。サウナでもない。床屋さんの話である。私は一月に一回ホームサウナに併設されている床屋で散髪している。店長的立場であるベテランと中年の女性と比較的若い男と三人体制である。その店長的な方は穏やかで人当たりがよくおしゃべりも上手で、いつも楽しい気持ちにさせてくれる。しかし、あまり髪を切ってくれない。他の二人は、そこそこ切ってくれる。いつも誰に当たるかドキドキして入店するのであるが、それこそ時の運で私の髪の長さは決定される。

 ところが、今日は、その店長的立場の方がおらず、初めてのおじさんが担当してくれた。「本日はどうされます?」と尋ねられたので、いつもいうように「オールバックで、短めに。あっ後ろは刈り上げて」と希望を伝えた。すると、彼は「刈り上げるのですね」と妙に嬉しそうに確認するのである。はて、この人は刈り上げるのが好きなのであろうか? 理容師もそれぞれ切り方の流儀があるであろうし、好みの長さや切り方があるであろう。そして、数分後に知ることになるが、彼は、短く切るのが大好物な人物だっとのである。嬉しそうに刈り上げの言質を取ると早速取り掛かった。そして、切るは切るは、今までこちらの施設でで経験してきた職人の誰よりも見事に短くしていくのである。後ろも前も横も。あたふたしている間に、はい一丁上がりである。そして、大輔花子というか、寝起きの慎太郎カットというか、まあ、とにかくそういう頭が出来上がったのです。

 同じ店に勤めていても、結局は皆一匹狼、流儀も好みも違う。というわけで、短い髪になりました。の、巻きでした。

畑について 2023年10月30日

里芋終了

 4月1日に蒔いた里芋でした。今年の7・8・9月は異常な暑さで、雨も降らない日々が続き、里芋が枯れてしまいそうになりました。それでも、彼らの生命力を信じ、毎朝欠かさず水やりをした結果、どうにかこうにか持ち直しました。9月半ばから、ちょこちょこ掘っていたのですが、上も枯れ始めたため、本日残りの里芋を全て掘り上げました。あの暑さの中では、そこそこの出来ではないかと自負しております。

読書について 2023年10月30日

ジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』読了(一応)

 9月6日より、毎日2〜3時間本書読解に当ててきた。文章構成が非常に難解(ボードリヤール自身の問題・翻訳でるという問題)な上、筆者が使う術語も筆者独特の解釈のものが多く、一文を理解するためには、何度も辞書をひき、主語を確認し、遠くにある述語と結びつけ、とりあえず文章の構成を理解した上で意味内容を理解しようと試みをする必要があり、大変時間がかかる作業であった。

 最初は(特に第一部から第三部くらいまで)は本当に一字一句逐語的に理解しようと辞書を引き引き、メモをとりながら読み進めたのであるが、一日10ページも進まない日々の中で、これでは埒が開かないと観念し、分かろうとわかるまいとあまり気にせず前へ前へと読み進めた。結果、分かったようなわからないような、漠とした中での終わりではあったが、全体像を少しは把握できたような気がする。

 本作は1976年に発表された(日本語訳は1982年)。今から46年も前のことである。パーソナルコンピュータもスマートフォンもなかった時代に、まさに今われわれが直面している問題を言い当てている、ということは言えると思う。

 では、「われわれが直面している問題」とは何か? それは言い方を変えれば無数に存在するのであろうが、誤解を恐れず思い切って言えば、「身体的現実性の崩壊」ということではないだろうか? 

 「近代以前では(中略)、社会形成の原理としての象徴交換が生きていた。」(今村)。つまり、以前は、王の死と交換に社会秩序の安定が担保された時代であった。しかし、現代では、古典的な意味での「労働も生産」も、死んでしまった。残ったものはシュミラークル(偽物・模造品)だけである。ということをさまざまな先人たちの文章を梃子に、あの手この手で言い表そうとしたのが本作だと言えるとだろう。

 先日(10月28日)に、芥研が開かれ「第一部」を読み込んだ。(報告者、片岡)。次回は、11月25日に「第二部」を読むことになっている。私の(われわれの)理解がさらに深まり、さて、この『象徴交換と死』で予見された未来は、現代ですらまだ訪れていないのか? あるいは、現代は、もう、ボードリヤールが考えた時間をすでに超え、もっととんでもない時代に入ってしまっているのか? その辺まで、考察が進めば、素晴らしいな、と、思っている。

競馬について 2023年10月30日

競馬 天皇賞(秋) 三連単奪取

 昨日(10月29日)は、秋の天皇賞(東京2000m)でした。11年ぶりの天覧レースで、天皇陛下夫妻がご覧の中、一番人気の「イクイノックス」は圧巻の勝利(JRAレコード)を収めました。もちろん騎手はリーディングジョッキーのメールです。2着に六番人気(ジャスティンパレス)がきたため、配当もまあまあでした。(6960円)

 今年は、購入点数を絞っている点、また、オークスで34140円の大ホームランを放っているなどの理由で、投票成績はほぼ5分5分。あと二ヶ月、G1を中心にプラス収支を目指し頑張っていきたいと思います。

その他のこと 2023年10月30日

メデタイ日

昨日(10月29日)は大変めでたい日であった。

1 9月3日から書き出した小説が、一応終わったこと。(298枚)

2 9月6日から読み始めた本(ボードリヤール『象徴交換と死』が、一応読み終わったこと。

3 天皇賞(秋)において、三連単が当たったこと。

 

あまりの嬉しさに、ブログを描く前に酒を飲み始めてしまったのが、現在書いている主な理由です。

 

ちなみに、禍福は糾える縄の如し、の通り、「いいこと」の代わりに、ぎっくり腰になってしまいました。象徴交換?

読書について 2023年10月28日

ポール・オースター『幽霊たち』読了

 現代アメリカ文学奇妙な小説である。自己の存在自体が揺らぐ、現代人が抱える問題を描いた作品であるといえよう。

 小説は次のように始まる。「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそののはじまりの前にはブラウンがいる。」そうなのである、登場人物は全て色の名前である。

 私立探偵のブルーはある時、ホワイトから不思議な依頼を受ける。それは、ブラックという男と観察し定期的にレポートを送るというものだ。ブルーはブラックのあパーの向かいに部屋を借り、ひねもす、ブラックを観察する。しかし、事件は何も起こらない。ブラックはほぼ毎日自分の部屋で何か書き物をしている。当社は熱心に観察していたブルーであるが、何もしないブラックに逃げられる心配もなく、だんだん、この依頼された事柄そのものについて考えを巡らすようになる。それまで、自分のことなど考えてこなかったブルーは自分の存在について考えざるを得なくなり、精神的不安定な状況に陥る。このままでは何も変わらない。そこで、ブルーは、さまざまな形でブラックに接近する。徐々に、接近は大胆になり、とうとうブラックの部屋に忍び込み机上のレポートを盗む。自宅でそれらのペーパーを見ると、それはブルー自身が書き、ホワイトに送ったレポートだった。

最後、ブラックの部屋に侵入するブルーであるが、ブラックがこちらに拳銃を向けて待っている。ブルーはブラックを殴り殺し、どこかへ旅立つ。

 

人間のアイデンティティーを問題にした作品である。役者「柴田元幸」は「エレガントな前衛」と喝破する。

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