トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』読了
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9月3日から『象徴交換と死』を読み続け,ようやく五章に入ったところ。
で,また,つまみ食いです。今回はマン『トニオ・クレエゲル』です。
本作は,マンの青春の書です。芸術家としての自分と世俗的な自己との対峙。
若いうちは,天才を気取って,世俗的なものや人を軽蔑するのが,かっこいい!みたいなところにハマり、自己矛盾を起こして混乱し,苦しむケース。
あるいは,自己矛盾を起こしていることにさえ気づかない俗人,なんていうのもよくなるケース。なんていうのがよくあります。
美に殉じて死を選ぶ,なんてのは格好悪い。悩み苦しみながらも,美と生活の折り合いをつけつつ,死ぬまで生きていくのが,マンの選んだ道である。
ニーチェやワーグナーとは違う。それがマンであり,『トニオ・クレエゲル』なのだ。
久しぶりの銀河夫婦旅ー茨城編 2023/10/16〜17
銀河夫婦旅は実に昨年の11月以来、11か月ぶりになります。仕事を全て辞めてのち、どうも経済的不安が常に自身の中にへばりつき、夫婦で旅をする気になれませんでした。
ようやく、生活の目処もつき、暑さからも解放されたため、では行くか!と言うことになり、今回は茨城堪能ツアーと相成りました。
朝五時出発。うちの旅はいつもこうです。まず、国営ひたち海浜公園に向かったのですが、開演の時間(九時半)には早いため、近くの磯前神社へ参拝に。海から一気に競り上がる神社は海とのコントラストで素晴らしものでした。
時刻もよくなり、国設ひたち海浜公園へ。今の季節は九時半開門でした。こちらには何度もお邪魔していますが、初めて自転車を借りました。それも電動アシスト付き! 三時間で9百円です。コキアの見頃はもう少し後のようです。今、8分と言うところでしょうか。また、コスモスは三分咲きというところでした。
移動も自転車で楽々。歳をとるのもいいものです。散々堪能し、昼食は日立おさかなセンターに行きました。そちらでは、本日のバーベキューの食材になるものとして、車海老5尾、ほっき貝2個、牡蠣5個を購入しました。全部で千五百円です。
次に、キャンプ場へ向かいつつ、途中にある竜神峡大橋に寄ってみました。私たちが橋を歩いていると、禿頭の青年がスタッフらしき人と歩いています。これはもしや!と思ったらまさしく、バンジージャンプ参加者でした。向こう岸で谷を覗いてみると、すでに彼が飛んだ後で、ロープに繋がりつつ100メートルの渓谷にぶらぶらしている状況でした。ああ、残念。生バンジー鑑賞のチャンスであったのに。しかし、1日に何人くらい飛ぶのかなあ。中々はいないだろうなあ。我々は絶好のチャンスを逃したのか? と忸怩たる思いをしつつも、もときた岸に戻るべく橋上を歩いていると、男性の絶叫が渓谷に響き渡りました。また、飛んだのか! そんなにしょっちゅう飛ぶものなのか、などと思いつつ歩みを進めると、三人の若者とすれ違いました。彼らはやる人であります。今度こそと思い、早足で元の岸に戻り、スマホを構えると、あっという間に飛びました。テレビタレントのように躊躇などしましせん。すぐ飛びます。すごいなあ。後で調べると、一飛び18,000円だそうです。お金を払ってまで・・・。
水府龍の里公園キャンプ場の受付は、龍ちゃんの湯のフロントです。キャンプ場代3500円に、お風呂チケット(六百五十円)が二枚ついています。ものすごいお得感を感じつつ、お風呂をいただき、キャンプしました。泊まるだけなら、道の駅でもRVパークでもいいのですが、われわれ夫婦の最大の目的が「焚火」ことであるため、焚火OKのキャンプ場でなければならないのです。その日は冷え込みました。一桁代だと思います。しかし、アホみたいに三箇所に火を焚き、海鮮焼きとけんちん汁をいただいたのでした。
翌朝は、露でびっしょり。日の当たる場所へ車を移動し、オーニングを乾かしてから出発です。まずは袋田の滝です。きたことがあるつもりになっていましたが、実際は初めてでした。どうやら吹割の滝と勘違いしていたようです。洞窟を通り、第一見学所へは徒歩、第二へはエレベーターを使用します。確かに名爆でした。なかなかもものです。結構感動しました。帰りは吊り橋を渡り、トンネルを使わず戻りました。
最後に、茨城といったら、水戸偕楽園でしょ!。しかし、もちろん梅は咲いておらず、萩もほぼ終わりに近く、人も少なくやや寂しいものでした。昼食をとり、地元のお風呂に入り、夕刻帰宅しました。
来月は、恒例、能生カニツアーです。
現在の状況(10月13日)
現在の畑の状況です。
大根、白菜は念入りに消毒をしました。それぞれ順調に成長しています。ただ、玉ねぎの苗が心配です。結構ネキリムシにやられてしまっています。
本日の作業=玉葱植付け準備
先週の日曜日(10月8日)、サツマイモ芋掘りをしました。参加者は妹とその中二の娘(あやねちゃん)、「いくら君」の娘と孫の千鶴ちゃん(一歳九ヶ月)、と「いくら君」夫婦です。芋のできはあまり宜しくはなかったのですが、皆が楽しそうに宝探しをしているのを見て、胸を撫で下ろしたのでした。
さて、本日(最近は五時半から七時くらいが作業時間になっている)は、そのサツマイモの後作準備として、籾殻と米糠と鶏糞堆肥、さらにカルスNC-r(微生物資材)を入れ、ミニ耕運機で土をかき回せてきました。
一月ほどしたら、穴あき黒マルチを張り、タマネギ苗を植える予定です。
オスカー・ワイルド『サロメ』読了
ワイルド『サロメ』読了。薄い本である。岩波文庫版(福田恒存訳)で実質77頁である。短い戯曲である。
ワイルドは1954年アイルランド生まれ。本作は1891年パリ滞在中に書かれた。
美しい月光のもと、ユダヤの王「エロド」の前で美しい舞を披露した、王女「サロメ」が、褒美として王に所望したものは、囚われの「預言者ヨカナーン」の首であった。
怪しく幻想的な作品。次のワイルドは「ドリアン・グレイの肖像』の予定。本日は、とても疲れました。歳です。
アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』読了
毎回書いているが、芥研の次の課題がボードリヤール『象徴交換と死』という難解な哲学書である。九月六日に読み始め、現在4分の3というところである。なかなか前に進まないため、ちょこちょこ他の本も並行して読む。
今回は、アベ・プレボー『マノン・レスコー』である。作者は北フランスエダンに生を受けたのは、1697年4月のことである。彼はアベつまり僧侶であり、グリューつまり騎士でもあった。落ち着きのない人で、僧侶と騎士を行ったり来たりしていたようだ。彼の生涯の中で一番大きな作品『ある貴人の回想録』(1728)の付録として書かれたのが本作『騎士グリュウとマノン・レスコーの物語』(1731)である。この作品で、プレボーはフランス文学に永遠の名を刻むことになったのである。
「私」が旅行中、騎士「グリュー」に出会う。彼は、詐欺犯罪によりフランスからアメリカに流される幌馬車の中の女に帯同している。非常に美しい青年だが、ボロボロの姿である。「私」は彼に同情し、いくばくかの金を渡しす。二年後、再び彼に偶然出会う。そこで、「私」は彼からこの話を聞くことになる。「私」は彼の語った全てを一字一句ここに記す。という枠組みの設定があり、以後は、「グリュー」の語りである。
哲学を収めた、品行方正か生活をしていたデ・グリューは学校卒業後十字軍に参加するはずであった。が、ところが出発の前日、享楽的性格を矯正するため修道院に送られる馬車に乗せられた「マノン・レスコー」に出会い、激しい恋に落ちてしまう。
二人は愛し合い、享楽的な時間を過ごす。しかし、マノンは娼婦的な性質のため、金の為、豪奢な生活のため、たびたびグリューを裏切る。しかし、グリューの深い執着のため、二人は度々よりをもどす。グリューは彼女に贅沢をさせるため、賭博、詐欺など破廉恥な罪を重ねながらマノンとの愛の生活を保っていく。何度も困難極まる危ない橋をわたる二人であったが、その度に彼を精神的にも経済的にも支援したのが、親友である僧侶「チベルジュ」である。しかし献身的ですらある「チベルジュ」さえも裏切り、マノンとグリューは詐欺の罪で牢獄に入れられてしまう。グリューは政治力を使い、出所できるが、「マノン」はアメリカ送りになってしまう。二人でアメリカに渡るも、マノンに想いをよせる男との決闘の末、彼を殺害したと思い違いをしたグリューは、マノンを伴い、広大なアメリカの大地に逃亡する。「マノン」極度の疲労によりなく亡くなってしまう。彼女の墓を作り、その前で自ら死を決意するグリューであるが、村人に見つかり、生きながらえてしまう。グリューを探しにアメリカへ来たチベルジュの配慮により、フランスへ帰国する。そこで二年ぶりに出会った「私」に顛末を語るのである。
文庫の裏表紙に次が記されている。
「純情な貴公子デ・グリューに、賭博、詐欺などの破廉恥な罪を重ねさせながら、自らは不貞と浪費の限りを尽くし、しかもなお、汚れを知らぬ少女のように可憐な娼婦マノン。プレヴォーはその美しく多情な姿を創造して、永遠の女性像に新しいタイプを加えた。(中略)今なお、輝きを失わない18世紀フランスロマン主義文学の不朽の名作である。」
スカイスパ
本日は,午後から,横浜駅東口スカイビル14階にある,スカイスパにきました。
とても都会的で洗練されたいい施設です。私は、スカイスパが大好きですが,少々値が張り,おいそれとは来れない世界です。
初めてここへきたのはかれこれ3年前くらいでしょうか?
テレビ東京放映「サ道」を見て,大いに刺激され,あちこちの有名なサウナを訪問するようになってから,割とすぐの頃だったと,思います。
東側ととのい椅子の目の前が,ガラスで横浜駅南側のベイフロントが一望できるのです。
初めてきた時,富士フィルムビルの奥で工事が始まっていました。
こちらへは2.3ヶ月に一度のペースというところでしょうか。
丸い基礎ができてきました。
円形劇場のようになってきました。
今年の春頃でしょうか,K-ARENAと言うロゴ?看板が着きました。
先日,新聞で,世界最大級の音楽に特化したアリーナだと言うことを知りました。
工事の様子を,2.3年ぼんやり見ていたのだなぁ,と,感慨に耽りました。
プランター
畑に植える場所がもうないにもかかわらず、ホームセンターにいくと、つい苗を買ってきてしまいます。
スッティックセニョール(茎ブロッコリー)(写真真ん中)の調子は上々です。
昨日は、わけぎ(写真左)を買ってきていまい、今日は、また芽キャベツ(写真右)の苗を買ってきてしまいました。
元気に育つといいなあ。
九月下旬の畑事情
今日は、2023.9.25monです。ようやく秋らしい日が訪れました。九月二十日までは、雨も降らず、蒸し暑くて、今年は一体どうなるのだろうと不安に思っているところでした。ようやく雨が降り、最高気温も30度を割り、という日がようやくきました。
最近の畑事情を報告しておきます。
暑くても、もう待っていられない!と、8月24日(最高気温33度)に白菜の種をポット巻きしました。ミニ白菜と60日、80日の3種です。その後も毎日暑い日が続きました。どうにか芽が出て、双葉が開き、成長しました。でも、なんか、弱々しいというか、調子悪い感じでした。9月10日にジャガイモの種芋を植え、12日に玉葱と大根の種まき、21日にニンニク、ラッキョウまき、昨日24日は、弱々しい白菜の苗を植え付けしました。今朝は、小松菜・ほうれん草・カブの種を蒔きました。
白菜の苗は、かなり根が回っているものの、三分の一は水の遣り過ぎで、腐っているような状態でした。妻が言うには、87歳になる、認知症初期の母が、朝昼晩と水やりをしていたとのこと。当然、悪気はないし良かれと思ってやったことなのでしょう。しかし、いくらなんでも遣りすぎでんがな。だからと言って、母を追い込むこともできず、腐った部分を取り外し、白菜の苗を植えた次第です。ついオルトランや殺虫剤をたくさんかけてしまいました。
どうなんだろう。心配だなあ。大きくなって結球してくれるかなあ。心配だあ。
PS どんなに、暑くても寒くても、秋のお彼岸の時期に合わせて「彼岸花」は咲きますね。自然の力と古の智慧はすごいと思います。
油断➖ホームサウナお風呂の王様瀬谷店
私のホームサウナは「お風呂の王様 瀬谷店」である。十数年前から通い出し、サウナを覚えた場所である。自宅と昨年の勤務先とのちょうど中間点に存在する。労働が辛くて仕方なかった「いくら君」は昨年度、本サウナに70回以上通った。
自宅には常にお風呂セットが二つ用意されていて、内容物はタオル二枚と垢すりタオルである。普通はお風呂へ行こう!と思い立つと、その袋をさっとカバンに入れる。
ところが、本日、お風呂セットを忘れた。今までには、ありえない現象だ。最近、いいサウナ(料金に、洗いタオル、バスタオル、館内着等の値段がが含まれる。時には、髭剃り、垢すりタオル、歯ブラシ等も含む場合がある)ばかりいっているということ、また、本日はお風呂へ行く前にあれこれ細かな用事(銀行、郵便局、コンビニ振り込み等)があったので頭の中でその段取りをシュミレートしながら出発したとの二つの理由で、お風呂セットを忘れた。
結局、現地で気づき、百五十円出してタオルを買う羽目になった。
「初心、忘るべからず(世阿弥「花鏡)」である。