『消滅世界』(村田沙耶香)読了
村田沙耶香の作品に触れるのは、芥川賞受書作『コンビニ人間』以来、2作目である。
『コンビニ人間』読了のさい、ものすごい人が出てきたな、という感想を持った。とにかくものすごい衝撃を受けた。今まで、存在していなかった新しい人類の登場、というか、全く新しい世界観を表出した作品として読んだ。
しかし、その後何冊か購入したものの日々の雑事に紛れ、積読状態になっていた。本を整理していて、『消滅世界』を発見し、読み始めた。
多分、作品の完成度は『コンビニ人間』の方が上だろう。しかし、世界に、人類に喧嘩を売っている非常識な力は『消滅世界』の方が上だ。
セックスではなく人工授精で、子供を産むことが定着した世界。そこでは夫婦間の性行為は「近親相姦」とタブー視され、両親の姓行為によって生まれた主人公「雨音」は母親に嫌悪感を抱きつつ、性的行為を行う。ぶっとびの世界観。
異性愛に含まれる「所有原理」は男性側からの押し付けである、という思想へのアンチテーゼなのだ。ジェンダーレス社会において、セックスは、「男」が「女」を所有するための行為ということになる。所有され、隷属されるのではない、女性的な暖かさの共有みたいなものが、この『消滅世界』には存在する。しかし、突き詰めていけば、人類を存続するためには、愛も性愛も本能から外した、人工的な妊娠出産子育て教育というものにならざるを得ない。
世界が消滅するのは近いだろう。
デビューして、もう二十年も経つのね。驚き。
長葱とサウナの友情
6月18日(日)に長葱の苗を植えた。今年の冬用のやつだ。4月にタネを撒き、苗を大事に育てていたが結構大きくなってきたので、この日に畝8mに何本だろう?150本くらいかな、苗を植えた。相当数余った。どうしようか?
翌日は、家族総出で馬鈴薯掘り。その間際、山の師匠であり株の師匠でもある遠井ちゃん(畑は俺が師匠)にネギ苗いらない?とラインした。50本欲しいと。で、どうしようか?郵送しようか?と打ったら、今から東名厚木健康センターへこいと言う。
で、家族を自宅へ送り、12時20分くらいに事情を話し、厚木へ出発。当然、急いでいるので東名を使って。1時ちょうどくらいに着いた。遠井ちゃんが待っていて、ネギ苗と今朝どりの隠元を渡した。そして、いつも通り厚木で4セットやって帰った。
翌日、苗を植えた様子の写真が送られてきた。
よかったよかった。
恒例馬鈴薯掘り
3月10日に植えたジャガイモ(メークイン3kg、男爵3kg)のいい塩梅になってきたので、妹に連絡、毎年お子を連れて家族総出で芋掘りをしていたのだが、今年は下のお嬢さん(あやねちゃん)も中学生にになり部活動で忙しいという。ということで、妹一人で参戦。87の母に声をかけたら当たり前のように「いくわよ!」とのこと。というわけで6月19日(月)「桜桃忌」に太宰を偲んで? 家族総出の芋掘りとなった。
結論ですが、まあよくできていました! 素晴らしい。妹は妻であり食べ盛りの2児の母でもある。というわけで、馬鈴薯一籠だけでなく人参、長葱、玉葱、胡瓜、ズッキーニ、大根、大葉等気合を入れて持って帰りました。
めでたしめでたし。
舞浜ユーラシア
6月16日(金)は千葉長谷川さん宅で19:00より芥研だ。横浜から車で2時間弱。午前中に畑を終え、時間が空いた。
「そうだ!千葉サウナへ行こう!」
ということで、自宅を13時前に出発し、14時半にはディズニーランド&シー側の「舞浜ユーラシア」へ。過去に一度だけ行ったことがある。素晴らしい施設だったという記憶。
フロントでJAFカードを提示しいくらか割引してもらう。まずは身を清めお風呂へ。お湯が太古の地層から汲み出しているという茶色で塩味のお湯が33度、37度、41度と数種類ある。他にも37度のジャグジー。サウナは80度のケロサウナと100度のフィンランドサウナ。あと低温の塩サウナ。上記の写真は外気よくから見えるディズニーランド周辺の風景だ。
とにかくサウナも水風呂もお風呂も外気浴も天候や風の力も手伝って、気持ち良くてしょうがない。
「ととのいました!」
3時間以上いました。
芥研 千葉編
2023年6月16日(金) 19:00 千葉県中央区都町 長谷川宅に集合。
別胸の書斎にて、再会を祝い、ビールで乾杯、お寿司を摘む。
8時研究会開始。本日の発表者は清水君。テーマは「二つの観点から『明るい部屋の謎』(セルジュ テスロン)を読んでみる。
1、ロランバルトの批判的敬称としての写真論は可能か?
2、本社新論はスマホ写真時代にも有効な論点か?
章ごとに清水君のレジメに従い読み進む。
テスロンの新しさ。従来の写真論はプリントされた「写真」のみに焦点が絞られていたが、テスロンは一連の行為としての写真と捉える。つまり、ファインダーを覗き構図を決める、シャッターを押す、現像に出す(現像する)、プリントされた映像をみる、観察する、考える。という一連の行為全てを写真として捉える。
⇨写真は世界の客観的表象でも特定の意味を表彰する記号でもない。
⇨写真は心的な消化=同化のための道具で、代謝できない対象を一時的に留保する⇨トラウマ。
→三つの領域で同時展開、感覚=感情=運動の領域、映像の領域、言葉の領域。
結論 ロランバルトとの三つのすれ違い
「私にとって映像とは根本的に苦痛なものである」(ロランバルト)
⇨映像は、生産者にとっても、その映像によって捕えられたと感じる鑑賞者にとってお、トラウマを乗り越えようとする一つの手段なのである。
「あらゆる写真における死の回帰」(ロランバルト)
⇨写真が招集する固有の心的力学が依然として見逃されている。。
⇨密接な結合が間違いなく主体と世界のあいだに存在しとたということ、もう一つは、この結合は消えることのない傷跡、、、を互いに刻み込むような仕方で、すでに終わってしまっているということ、
「映像、それは私を締め出すものである」(ロランバルト)
⇨写真の官能性は、不在を喚起する、、ところにあるのではなく、むしろ未知なるものに向けて解放されているというところにある、、、、あらゆる写真には、潜在的な時空間が備わっている、、
なんやかんや、ツッコミをいれ議論し、わかったようなわからないような気がしつつも、バルトが道を定めてしまった写真論を発展させたものであるというところあたりで落ち着き決着。
前日の深夜3時3分に尿道から結石を排出した片岡さんは11時半頃潰れる。菅原も12時15分蔵ににはベッドに移動。おやすみなさい。
雨予報結局曇り空
天気予報では雨だった。今日は畑仕事は無理だなと端から決めてつけていた。
で、起床直後(5時)畑へ。収穫だけして(キュウリ4本、ズッキーニ1本、人参、長葱)帰宅。
午前中は、読書と決めていた。芥研は金曜日から土曜日(一泊二日)。課題図書は『明るい部屋の謎』(セルジュ ティスロン)。一昨日から2度目を読み始める。ディテールはところどころはっきりとわかるが、全体像として論の像が結ばない。うーん、難しい。清水くんも忙しいのに時間を割いてレジメを送ってくれた、頑張らねば。と、8時半から12時までじっくり読書。労働者の頃と比べ、読書に対する忍耐力がついてきた。以前ならすぐに放り投げていただろうに、今なら頑張れる。
とか、言いながら、母親の作った蕎麦を食べてお風呂へ向かう。今日は久しぶりに上星川駅前「満天の湯」。サウナアプリ「サウナ行きたい」によるとかなり高評価の施設なのだが、私はそれほどとは思わない。まあ、悪くはないけれど、なぜか、平日の昼間に行っても大変混んでいる。それが気に入らない(と言いながら回数券を買っているのだが)。
前々から思っていたのだけれど、平日の昼間に、どうして働き盛りの年齢の男(30代〜50代)がわんさかいるのだろうか? みんな仕事しないのだろうか? 今日がたまたま休みなのか? そんな人がこんなに大勢いるのか? いつも頭に?が浮かんでは消えていた。まあ、最近はあまりそんなこと考えないけどね。
身体を清め37度の漢方の湯へ。水通ししてサウナで8分。外気浴を10分。3セット。お疲れ様。
スカイスパ
私が最もお気に入りのサウナの一つ「スカイスパ」。
本日は、梅雨空。雨。畑へも行けない。薄寒いのに蒸し暑いから本を読む気にもならない。
では、サウナでしょ! スカイスパ! 月曜日はポイント2倍デイ!いくっきゃない。
ということで、横浜駅なら雨に濡れず直結、東口スカイビル14階「スカイスパ」に潜入。
サウナは考え方によって、様々な分類法があるだろうが、私見では、銭湯系、郊外スーパー銭湯系、昭和ストロング系、都会派洗練系、と分けられるのではないかと考えている。
で、本日のスカイスパは、都会派洗練系老舗派ということになるだろう。
横浜駅東口スカイビル14階にある。ここは、細やかなところまでサウナーの心理を掴んだ洗練されたサウナ空間である。本日行ってびっくりしたのだが、低音塩サウナが、定員14人セルフローリュー高温サウナに改築されていて、びっくり仰天。1、2ヶ月に一度ここ数年通っているが、毎回のように、ちょっとどこかが改変されていて、痒い所にさらに手が届くという感じなのだが、今回の大工事には驚いた。
てなわけで、10時半(オーピン時間)に浴室へ入ると同時に、すぐさま垢すりコーナーへ向かいロッカーNoを記入。垢すりは11時開始。それまで、まったり湯船に浸かる、のが、いつものパターンだが、30分も我慢できず、無人の新築ローリューサウナへ。一人。ラドルで凛々しいサウナストーブ上の焼ける石に2杯かける。部屋は一気に蒸気に溢れ体感温度が急上昇する。約8分で退場。しっかり汗を流してから15度の水風呂へ15秒浸かる。なかなかなものだ。
なんとも表現し難いのだが、サウナは、温度、湿度、調度、清潔、動線、その他いくつもの見えない計算をし尽くされた上で、この上ない快楽がもたらされる。少しでも気になる何かがあったら、ーー例えば水風呂の水が少しカルキ臭いとかーーもう全ては台無しである。そういう意味でとても繊細な空間なのだ。もちろん店側だけでなく、客の質も大切。みんなで作り上げる「ととのい」空間なのだ。
11時にロッカーナンバーが叫ばれいざ垢すりコーナーへ。私は、ここでしか経験がないので他との比較はできないのだが、非常に効率的で人間的で温かみのある垢すり空間である。お姉さんも力強く威勢がよく且つ繊細だ。何も考えられなくなるくらい心地よい。仰向きでポロポロ。うつ伏せでポロポロ。ざーっと流して、石鹸で洗ってもらって、仕上げの頭皮マッサージで一丁あがり。時間にして30分。極楽の世界。で、時計を見れば11時40分。おー、あと20分で本日最初の12時のアウフグースではないか!
アウフグースとはドイツ語でアロマ入りの水をサウナストーンにかけ蒸気を発生させた上で、タオルを方法で回し煽り、高温の空気を撹拌させつつ、お客さんに熱風を楽しんでもらう、という、いわばサウナのショーだ。タオル捌きなどはそれぞれ個性があり、なかなか楽しい。世界大会もある。
で、12時にアウフグースが始まる。5分前にはサウナ室に入らないと、満席で入れなくなる。私は8分前に入り、お行儀よく下段に場所を取り、アウフギーサーが登場するのを待つ。12時にイケメンの彼は入室&自己紹介。拍手が起こる。早速ラベンダーの香水を含んだ雪玉をサウナストーブに乗せ、愛おしそうに丁寧に水を2杯かける。一気にサウナ室の体感温度が上昇する。上段に座っている人は大変だろう。そこで、彼は、器用にバスタオルで上下の空気を撹拌する。美しさと技術。腕の見せどころだ。汗が吹き出しっぱなし。普段はそんなに我慢できないのだが、熱くても湿度が高く、いきなお兄さんが美しく風を起こしてくれれば耐えられる。
結局20分近くサウナへ入っていた。汗を流し水風呂へ。そしてインフィニティチェアーで休憩。何も考えられない。嫌なことは全く浮かんでこない。ただただ気持ちいい。5分から10分休憩して、温泉へ、ジャグジーへ、で、サウナ、水風呂、休憩。結局本日は4セットやりました。
水分補給はお忘れなく。お風呂を出て水分を拭き取り、デジタル体重計に乗ったら0.85kg減っていた。さすがスカイスバ。いつもはせいぜい0.5kgなのに。
あーそれにしても、今年はエルニーニョ現象のせいか雨が多い。冷夏になるのだろうか? 明日は畑にいけるのだろうか? キュウリとズッキーニとそろそろミニトマトが取れるはずなのだが。ジャガイモも全て掘り起こさなくてはならない。3日、好天が続いて欲しい。
梅雨のサウナは気持ち良くも切ない。ありがとうございました。
『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ)読了
主人公「優子」は七回も家族の形態が変化する。実の母は亡くなり、父は3人存在する。
本作第一章はこう始まる。
「困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけれど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。」
優子はとってもクールで優しい子。特別に強いというわけではないが、目の前の現状を肯定的に受け入れていって最後に笑顔になれる。そういった特殊性を持っている。優子に関わる「親」は実の親を含めて5人いるのだが、全ての人が魅力的だ。こんなのあるわけないと、自然主義に傾倒した読者は思う。でも、最後の「森宮さん」の語りの章で涙が溢れ止まらなくなった。
それと、登場するご飯やデザートがみんな美味しそうだった。美味しいものをしっかり食べていれば、それだけで幸せになれるのかもしれないね。
ああ、なんて素敵な物語なんだろう。感涙。瀬尾まいこさん、ありがとう。
大雨大風読書送り迎え
本日6月2日(金)は、前日からの予想通り、大雨大風大嵐の1日である。
当然、畑仕事はお休み。一日中読書三昧。
本日の作品は『暇と退屈の倫理学』』(國分功一郎)と『そしてバトンは渡された』(瀬尾まいこ)。
「暇と退屈、、」は二度目。「バトン」は何年も前からずーっと読みたくて、でもなんとなく後回しになってたものだ。ようやく日の目を見たという感じ。書斎は西向き。目の前に隣の屋敷の枝垂れ桜の枝葉が風雨に打ち付けられていた。それをのんびり眺めつつ安全地帯でページをくる。
朝5時に、娘の家へ野菜の置き配。9時妻を職場へ送る。11時母を病院へ。15時40分、妻を迎えに。それ以外は完全に読書の時間。これだけ集中して読書に耽ったのは久しぶりの感じ。それにみんなを職場や病院に送ったりしてプチいいことした気分もあって、充実感満タン。