『明るい部屋の謎』(セルジュ ティスロン)読了
『明るい部屋の謎』(ティスロン)読了。
文学研究会(芥研)の次回発表者清水君が本書について発表するということで、『明るい部屋』(バルト)に続き、本作を読んだ。ティスロンは1948年生まれのフランスの精神分析者であるが、さまざまな著作を発表しており、本作は写真論についてである。バルトの『明るい部屋』において規定されてしまい、そこから出られなくなった写真論を独自の理解と様々な哲学的論考をもとに、独自の写真論を展開している。それはバルト批判でもありオマージュでもある。
一読で全て理解というわけにはいかないが、バルトよりは読みやすく、首肯できる点もままあった。
研究会の日までまだ時間がある。『明るい部屋』とともに、本作ももう一度二度読み直し一層の理解を深めたい。
ジャガイモ
夏野菜の苗(トマト/ナス/キュウリ)が植え終わると仕事はひと段落つく。そこで気温上昇とともに頭を悩ませてくるのは雑草だ。一通り、抜き終わると最初のところにもう結構生えている。そんな感じ。
本日、ジャガイモ(メークイン)のためし掘りをしてみた。まだまだ小柄だがしっかりと成長している。葉はしっかりと緑だし、光合成をせっせと行っていることだろう。
花も枯れた。これから徐々にはも黄色くなっていく。あと3週間ぐらいが収穫的期だと思う。
『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(金間大介)読了
バルトの『明るい部屋』と並行して読んでいた。バルトは論理が難しく表現が特徴的なのでなかなか頭に入らず、何度も何度も一箇所を振り返るようなことがあり、なかなか進まなかった。
そんなとき、本書を手に取り、そうだそうだと、納得しながら、心を落ち着けさせた。
昨年度まで高等学校の国語科の教員をしていた。再任用で転勤した2年勤めたその学校はとてもいい学校だった。鐘がなる前に席につき、当然教科書や資料プリントは机の上に出ており、みんな一流大学進学を目さして一生懸命勉強し、私語もなく。。。
みんなマスクをし下を向いている。誰も発言しないし、質問もしない。だから顔と名前が覚えられない。気軽に声をかけることもなく、なんとなく他人行儀で時を過ごす。みんな静かだ。だが、私の話を魂で受け止めていた生徒はいくらもいないだろう。みんな、共通テストでどれだけ点を取るか、そんなことばかり考えていた。(共通テストは全部選択肢だ。つまり答えがある。彼らの作業は、文章を読み解くことでも、自分の人生を深く考えることでも、心震わせることでもない。つまりこの5つのうちどれを選ぶべきか、その効率的な方法論を学びたいと考えているようだ。(これは俺の妄想の部分もある。反省する必要はある)
だから、私の授業はとても無意味なものに思えたらしい。だけど、「いい子症候群」だから、冷ややかに文句も言わず、笑顔も見せない。
で、
俺が精神的におかしくなった。身体症状にも出るようになった。だから、再任用期間3年を残し辞めた。耐えられなかった。
そんな「いい子症候群」の現在の若者を少しでも理解したいと、本書を手にした。
まあ、大体納得できた。その通りだと。しかし授業は相互作用だ。全く存在を無視されるような仕打ちを受けるということは、俺が教師としての資質に乏しかったということになるのか
あるいは努力。
「いい子症候群」あーいやだ嫌だ。
『明るい部屋』(ロランバルト)読了
6月の芥研(文学研究会)の発表者は清水君で、写真論をやるという。テキストは『明るい部屋の謎』(セルジュ ティスロン)だ。本書はバルトの写真論『明るい部屋』を批判的に論述したものだという。というわけで、その元となる、バルトを読んだというわけ。どうもフランス哲学は詩のようで分かったようなわからないような、何かケムに巻かれた感じだ。ティスロンを呼んでこのモヤモヤが少しはクリアーになるだろうか?
北欧
1週間ぶりにサウナへ行ってきた。それも泊まりで。労働者だった頃は週三回はサウナに行かないと発狂しそうだったのだが、最近はようやく落ち着き心も平静に保たれ、あまりサウナに行かなくても済むようになってきた。(それだけ、畑仕事が充実し忙しい)
先週は山陰旅行も行った。というわけで1週間もサウナへ行っていなかった。
で、「北欧」。
北欧はシンプルである。
お風呂は二種類。
サウナは1つ。
でも、いいのだ。サウナの温度湿度形状その他?
とにかく理屈はどうでもいい。北欧はいい。
で、9セット実施。帰り上野公園を散歩し帰宅。
母親(87歳)
本日午後から、母親の病院の付き添い。自宅から車で15分ほどの総合病院。母は昨年8月心筋梗塞で入院した。ステントを二箇所入れた。それ以来のお付き合い。最近は順調で、2ヶ月に一度。今回は検査もなし。2時半予約であった。が、担当医の診療が始まったのは3時過ぎ。母は4時頃。1時間半待った。診療は、ああ、いいですね。と、5分。いろいろあちらさんにも事情があるのだろうけれど、どうにかならないもんかね?
山陰旅行
30年来の文学研究会「芥研」の先輩、千葉在住の長谷川氏から山陰旅行の話をいただいた。当然、二つ返事で「OK」とラインで返信。手配は長谷川氏が全てしてくれる。決行は2023年5月16日(火)からの2泊3日。
16日朝、長谷川さんが千葉からわざわざ横浜の拙宅へ車で迎えにきてくれた。朝8時ちょい過ぎいざ出発。東名から第二東名へ。浜名湖で昼食&給油。運転交代。名古屋、京都、大阪を経て山陰へ。本日は島根県にある三朝温泉依山楼岩崎にご厄介になる。ホテル到着17時ごろ。長谷川さんの千葉の自宅からは休憩含め約11時間オーバーの長距離ドライブであった。
穏やかな川に面して建てられた、皇族もご利用なさる由緒あるホテルである。ほんの少し城崎温泉に似ている。あれほど繁華ではないが。ここのホテルを利用する客の多くは、ホテルより車で15分程度の距離にある「三徳山三沸寺の投入堂」が目当てのようだ。険しい山道を越え幾多のお堂を通過し最後に見上げるのは「投入堂」。どう考えてもあんな険しい岩場に存在するのが不思議であるから、役行者が絶壁の岩場に投げ入れたと言われるお堂だ。平安後期のものと言われ、現存する神社建築では日本最古級のものと言われる。この日はお風呂で身を清め、立派なお食事をいただき明日に備える。
17日5時起床。朝風呂と洒落込み朝食を済ませ気合いをいれる。とにかく鎖場のある険しい霊山。単独行はダメ。サンダル等はダメ。雨の日は入山不可。ストックも根を傷つけるため不可。食事、タバコ、トイレ禁止、等々、厳しい掟の中で、長谷川さんは地下たび、私は登山靴を履いて登山参拝事務所で入山の許可を得る。
大変な斜面である。岩場あり、鎖場あり。それを経て幾つものありえない険しい場所に建てられたお堂を通過し、約1時間半後、目の前に現れたのは岩場の凹みに建築された「投入堂」である。あんな所にお堂が。巨人がポイっと投げ入れたとしか考えられないような謎の建築物であった。岩場で一休みし、写真を撮り願い成就し11時下山。下着肌着が汗でびしょびしょなので着替え一心地つく。
鳥取砂丘へ向かう。約1時間のドライブ。駐車場に止め、昼食をいただく。私はバラチラシ、長谷川さんはカルビ丼。食後、砂丘を歩く、馬の背を超え絶景の日本海を愛でる。気温は33度、湿度35%。風は乾いているがやはり日差しはキツイ。砂丘会館で砂丘の成り立ちを勉強し、リフトで見晴台へのぼり、鳥取砂丘の全貌を眺めながらソフトクリームをいただく。時間があるので砂丘美術館でエジプト展を鑑賞するもまあご愛嬌。修学旅行らしき中学生多数。暑さにやられすぐ本日のホテルへ向かうことになる。西へ。「はわい温泉望湖楼」。高速を下り街へ入るが「はわい」であり、「羽合」とは決して表記していない。まあ、昔からシャレでやっているのでしょう。宿はその名の如く「東郷湖」の岬先端に建てられたホテル。部屋からの景観が素晴らしい。一面の湖。遠く風情ある列車がコトコト走る。その背にそう高くない山々。部屋から見て西の山に陽が沈む。6階の部屋から部屋から見える湖面には男女それぞれの露天風呂が浮いており、ホテルと廊下でつかがっている。
どちらの宿も様々なサービスを工夫しているが、こちらはちょっと面白い。温泉卵のサービス。ホテル一階の喫茶コーナーのような場所でネットに入った生卵を人数分受けとる。それを湖上の露天風呂隣にある、源泉掛け流しの桶に25分つける。その間はお風呂に入っていてください、とのこと。少し長めで30分くらいお風呂に浸かり、卵を所定の箇所に持参するとビール(麦茶)のサービスで卵をいただく、という趣向。少し時間が過ぎ固くなってしまったが、当然美味。ビールも美味い。
我々の世話をしてくれる中居さんは外国(多分中国)の方。若い女性。片言にの日本語で精一杯おもてなしをしてくれる。心遣いが細やかで少し感動する。豪華な夕食をいただき、年寄り二人は部屋ですぐさま撃沈。
翌朝、チェックアウト時にフロントマンから、中居から伝言がありますと可愛らしいメモをもらう。あの中国人の女性だ。精一杯丁寧に書いたと思われれる優秀な小学生のような文字でお礼と今後の我々の幸福を祈念してくれていた。とても素晴らしいと思う。おそらく、彼女の自主的行為であろう。感動する。
2泊3日の最終日(5月18日)のメインは鳥取の霊山大山麓にある大山寺の重要文化財阿弥陀堂である。ここは毎月18日のみ拝観可能とのこと。当然長谷川さんはそれを狙ってきたのだが、本堂から川を越え山中15分ほど歩いて辿り着く。中には丈六(2m66cm)の結跏趺坐する木造阿弥陀如来像が安置されている。天承元年(1131年)作ということだから平安時代末。900年前の作である。巨大且つ美しく、こんな素晴らしいものが京都や奈良にあれは大変なことになるなあとため息をつく。伯耆国大山寺で月に一度しか拝観できないのがよりありがたい。
11時車の戻り、いざ出発。帰りも長い旅だ。兵庫のSAで昼食をとり、浜名湖で給油をし、いざ横浜へ。東名が途中少々混んだがまあまあ順調に拙宅へ。19時着。長谷川さん、ありがとうございました。とても楽しく勉強にあるいい旅でした。これから長谷川宅まで2時間近く運転が続きますが申し訳ありません。ありがとうございました。
東名厚木健康センター
最初その名を聞いた時、まあ、なんとダサいこと、と、思った。
確かに施設は古いし演歌歌手のドサ周りも定期的にやっているし、おじいちゃんおばあちゃんのための健康ランド、くらいの認識だった。ところが、いってみるとその施設のレベルの高さに感動。若者も多い。かれこれ3年以上通っている。
というわけで今日は厚木のラッコで3セットやってきました。良い汗かいたー。ととのいました。
『街とその不確かな壁』(村上春樹)読了
2週間以上この長大な(1200枚)作品と時間を過ごした。
以前書いたように、ここ30年私は村上春樹の良い読者ではなかった。私が高校生の頃彼は作家としてデビューした。全く新しい人が出てきたと感じた。その後、諸作品を読みすすめていくにつれ、私の中の「村上春樹」はほぼ神の如く絶対的なものとして築かれていった。しかし、ある作品(『ダンスダンスダンス』)以降、すべての作品で違和感や不満感、物足りなさを感じてきた。
もちろん、読みやすい文体でストーリーも意味ありげかつ斬新。面白くて、一気に読んでしまうのだが、でも、毎回毎回裏切られた感が残った。しまいには「1q84」においては、途中で放り、「騎士団長殺し」に至っては、出版された彼の小説で初めて購入すらしなかった。
当然、自分の中での村上への想いは下がる一方。興味すらなくなっていた。
ところが、今回の作品は「街と、その不確かな壁」から40年後の『街とその不確かな壁』なのだ。4冊同時に読み進めていたが、結局この作品にここ10日は集中していた。とても幸福な時間だった。
もちろんこの作品を完全に理解したわけではない。(そんな人は作者含め一人もいないだろうけれど)。でも、今回の本作が村上の最高傑作なのではないか。今は、そう思っている。
リアリズムからかけ離れた内容である。普通こんな内容を書いたら、話がふわふわと浮き上がり煙のように消えてしまうだろう。読者はその内容に理解も共感も示さず放り出してしまうだろう。話は完結もせず、読者も納得させられないのがオチ。
ところが、さすが村上春樹。丁寧な文体で無理をせず、なげやりになることも無く根気よくーー細い糸でマッチョマンのセーターを編むみたいにしてーー文章を紡ぎ出してゆく。柔らかいが強い。軽いが重厚。そして我々読者を世界に引き込むと、一気に最後まで連れさってしまう。
昔(バブル、あるいはその後)の、モノカルチャーで空気を生み出していた頃とは違う手法で丁寧に世界を生み出している。
とても幸福で、心地よかった。