東名厚木健康センター
最初その名を聞いた時、まあ、なんとダサいこと、と、思った。
確かに施設は古いし演歌歌手のドサ周りも定期的にやっているし、おじいちゃんおばあちゃんのための健康ランド、くらいの認識だった。ところが、いってみるとその施設のレベルの高さに感動。若者も多い。かれこれ3年以上通っている。
というわけで今日は厚木のラッコで3セットやってきました。良い汗かいたー。ととのいました。
『街とその不確かな壁』(村上春樹)読了
2週間以上この長大な(1200枚)作品と時間を過ごした。
以前書いたように、ここ30年私は村上春樹の良い読者ではなかった。私が高校生の頃彼は作家としてデビューした。全く新しい人が出てきたと感じた。その後、諸作品を読みすすめていくにつれ、私の中の「村上春樹」はほぼ神の如く絶対的なものとして築かれていった。しかし、ある作品(『ダンスダンスダンス』)以降、すべての作品で違和感や不満感、物足りなさを感じてきた。
もちろん、読みやすい文体でストーリーも意味ありげかつ斬新。面白くて、一気に読んでしまうのだが、でも、毎回毎回裏切られた感が残った。しまいには「1q84」においては、途中で放り、「騎士団長殺し」に至っては、出版された彼の小説で初めて購入すらしなかった。
当然、自分の中での村上への想いは下がる一方。興味すらなくなっていた。
ところが、今回の作品は「街と、その不確かな壁」から40年後の『街とその不確かな壁』なのだ。4冊同時に読み進めていたが、結局この作品にここ10日は集中していた。とても幸福な時間だった。
もちろんこの作品を完全に理解したわけではない。(そんな人は作者含め一人もいないだろうけれど)。でも、今回の本作が村上の最高傑作なのではないか。今は、そう思っている。
リアリズムからかけ離れた内容である。普通こんな内容を書いたら、話がふわふわと浮き上がり煙のように消えてしまうだろう。読者はその内容に理解も共感も示さず放り出してしまうだろう。話は完結もせず、読者も納得させられないのがオチ。
ところが、さすが村上春樹。丁寧な文体で無理をせず、なげやりになることも無く根気よくーー細い糸でマッチョマンのセーターを編むみたいにしてーー文章を紡ぎ出してゆく。柔らかいが強い。軽いが重厚。そして我々読者を世界に引き込むと、一気に最後まで連れさってしまう。
昔(バブル、あるいはその後)の、モノカルチャーで空気を生み出していた頃とは違う手法で丁寧に世界を生み出している。
とても幸福で、心地よかった。
ゴールデンウイークが終わって
「久しぶりのサウナ」
ここ数年、ゴールデンウイーク中はどこに行っても混むし高いし疲れるし、いいことないから、畑仕事に専念する、というのが慣習になっております。当然サウナも混むしね。私個人、混雑するところにいる、長時間並ぶ、などの行為というか状況が滅法苦手なもので、サウナも行きません。
「こころととのう」、はずの空間で、イライラしたり、サウナ警察に変貌する自分を見るのに嫌気がさし、混んでいる時期(日時)にはサウナには行かない、と決めております。
前置きが長くなりましたが、黄金週間がようやく終わり、夏野菜の支度の目処もついたので、サウナプチ旅行に出掛けてきました。妻はサウナに興味がないので、一人旅になります。
5月8日9日の一泊。自宅は神奈川県の横浜市。東名横浜町田インターから2時間ほどで、あらあら、あの、憧れの、東の聖地である「サウナしきじ」へ。サウナの評価ポイントはいくつもありますが、やはり決め手は「みず」ですな。サウナ好きの方には自明のことと思いますが、「しきじ」の水は本当にいい。柔らかい。包み込んでくる。飲める。からの外気浴(内気浴)は心の底から「気持ちいい」を体験できる場所です。客の質も意識も高く、不愉快な思いをすることもあまりないし。
さすがの「しきじ」も黄金週間明けの午前中はそれほど混んでいず、快適に「フィンランドサウナ」×2、「薬草サウナ」×2、and天井から落ちる滝のような良質の水を浴び、散々整いました。
2階で食事を済ませ、1時間ほどお昼寝をしてから、いざ次へ。時間は2時ちょい過ぎ。お次は3時チェックインの「駿河健康ランド」東海道線「興津」駅から徒歩15分。(と書いてあった)。
海に面したオーシャンビューのホテル&温浴施設「駿河健康ランド」。
ここもいいよ。お風呂、サウナも多数あり、海を見ながらの外気よくが最高。様々な施設が入っていて、健康ドリームランドって感じ。
サウナ→夕食→寝る→サウナ→朝食→サウナ、と、ループ状態
。
畑仕事を現在の自分の仕事だと自己認識しているし、それはとても気持ちのいいものなのだけれど、やはり、息抜きがなくちゃねえ。ということで、サウナプチ旅行でした。
帷子川ウオーキング
本日快晴。畑は休み。
妻と二人で、午前中3時間ほど、近隣の川沿いの道を散策。14000歩。10kmほど。
とても疲れました。
帰りはラーメンを食べ、電車に乗って帰宅。
村上春樹
「街とその不確かな壁」
久しぶりに(30年ぶりくらい)村上春樹の小説を楽しく読んでいる。「ノルウエイの森」以降、ずーっと幻滅続きだったが、今回の作品はなんだか、反発心や裏切られた感なしに素直に読める。
ちなみに私の一番の推しは「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」だが。
草むしりについて
本日の作業
土手の草刈り。堆肥を入れてひと畝耕運。草取り。水やり。そら豆収穫。
昨年までは、土日しか畑に行けなかった。
私が力仕事をし、妻や母が細かなことをした。
つまり、私=耕運/畝作り/マルチ張り 妻、母=種まき/収穫/草取り という役割分担がなされていた。また、母(86歳)の草取りは完璧だった。しかし、去年の夏、体調を崩し、畑仕事は無理になった。
この4月から私は毎日畑に行く。お金はもらえないが、これが私の仕事だと認識している。当然、今まで3人で分担していたことを一人で担うことになる。(たまに妻も手伝ってくれるが)
土起こし、苦土石灰投入耕運。堆肥、化成肥料投入耕運。マルチ張り。タネ(苗)植え。草刈り。草取り。
で、
草取りなんだが、毎日畑に行っていると、けっこう雑草が気になる。そこで、小さな鎌を右手に草取りをすることになる。今までは三角ホーで土の表面をガリガリこそげたりしただけなのに、今はひざまづき、畝の脇に生える雑草を細かく細かくとっている。以前の印象ではとても大変な作業だなあ、という感覚だったが、これが意外にいいのだ。一点に神経が集中され一心不乱に時を超える。そして作業の痕跡が明確に見える。やったらやっただけの結果がすぐ目の前に見える。禅の修行みたいな感覚といったら言い過ぎか。要は楽しいのだ。
毎日午前中3時間の肉体労働。ついでに、満足感と美味しい野菜をいただける。幸福である。
落ち着きなし
現在、4冊の本を併読しております。
「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎)2周目
「街とその不確かな壁」(村上春樹)
「目的への抵抗」(國分功一郎)
「三島由紀夫論」(平野啓一郎)
要は集中力がないのですね。
ちなみに、卒論は「豊饒の海論」修論は「金閣寺研究」でした。
現在、三島読む人少なくなっているよね、
初めまして いくら君です
みなさん、初めまして。いくら君と申します。
定年退職後、2年間再任用として勤務してまいりましたが、職業人としての限界を感じ、この春(2023年(令和5年)3月31日)完全なフリーとなりました。
目に見えて減退する体力意欲を心配したのか、娘が「お父さん、ブログでもやらない?」との誘い。それに乗って、本日(2023年(令和5年)5月2日)、ほんページを開設するに至りました。
とてつもなくお金がなかった頃、少しでも生活の足しにと始めた家庭菜園。仕事の中でのとてつもないストレスを癒してくれるサウナ。娘の4歳時に旅した北海道キャンプの中で知り合った老夫婦のキャンピング生活に憧れ苦節25年で購入したキャンピングカーの旅。最近は体力が落ちてご無沙汰気味ですが、5年前までは20kgのザックを背負い、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、その他を登っていた登山。そして、読書について、つらつらと考えたこと、気づいたことを書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。