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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

       いくら君のこころととのう日記
サウナについて 2024年7月22日

最近の傾向

なぜだかわからないが,以前は狂ったように何に対しても腹が立った。それはサウナでも同じだった。

若者がグループできてドラクエ状態だ💢

あのオヤジのタオルが少し湯船に入っている💢

アイツは掛け湯せずに湯船につかった💢

ジジイが汗を流さず水風呂に飛び込んだ💢

等々,まったくキリがない。せっかく職場での苛立ちを宥めようとして来ているのに,さらにイライラして狂いそうになる。完全に阿呆である。というより狂っていた。

最近は,入浴の際眼鏡をかけない。脱衣場においておく。するとほぼ視覚情報は入ってこない。また,意識的に見ないよう努力する。苛立ちの原因になる視覚情報を絶てば心が乱されることはない,という理屈である。この作戦はほぼ成功している。

もちろん,この穏やかな年金生活に慣れてきたことが大きい。

 

その他のこと 2024年7月22日

夏時間

 夏の暑さによる,最近の1日のパターンがだいたい決まってきた。

2:00起床-3:00チョコザップ-4:30畑-7:15朝食-9:00読書-12:00昼食-13:00読書-15:00飲み・料理・野菜YouTube鑑賞-18:0夕食-19:00消灯。

これに不定期に妻と買い物,サウナが入ってくる。さらに週末は14:30~15:45にお馬がある。

他人にはクレージーだろうが本人は至って普通。

畑について 2024年7月21日

夏野菜

 前記の通り、二泊三日で旅行に行った。東北は梅雨空だったが、関東は鬼のいぬ間に梅雨明けをしてしまった。帰ってきたら熱暑地獄。20度の世界から35度の世界へ。嗚呼。

 まあ、それはいい。二日間畑へ行かなかった。キュウリの成長が早いのは百も承知で三日前かなり小さなキュウリまで採ってきたつもりだった。しかし、三日ぶりに早朝畑へ行ったら、案の定というかなんというか、キュウリが巨大化して鈴なりに成っている。めでたい事ではある。夏野菜が盛りの時期である。キュウリのナスもミニトマトもピーマンも皆調子いい。最近オクラが順調な様子を見せてきた。夏野菜を作っている限り、この時期の長期旅行は無理だなあ。

 植物の旺盛な成長から生まれる問題は、である。雑草という言い方は人間中心主義というか傲慢な感じがして使いたくはないが、この旺盛な成長を見ていると憎らしくなる。キュウリもすごいが雑草もすごい。全ての雑草を目の敵にしているわけではないが、どんな栽培法をしていたとしても、多かれ少なかれ、草刈りは必要だろう。頑張ろう。

旅について 2024年7月20日

山形県出羽三山➕山寺の旅

 7/17~19の旅程で,研究会の仲間である長谷川氏と共に、出羽三山及び山寺(立石寺)を巡ってきた。今回の旅の障碍(問題点)は天候であった。雨であった。でも、それだけではない。何か、天におちょくられているような感覚を覚える旅であった。

 出羽三山詣では、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表するとされ、羽黒山修験道では死と再生の意味を持つという。今から1400年前の推古元年(593)第32代崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子(はちこおおじ)が羽黒山を開いたのが出羽三山の始まりである。まずは初日の宿である宿坊神林勝金に14:30に到着する。小雨模様の為バスで山頂(414m)に登ることにする。時間があるためバス停前の「いでは文化記念館」に立ち寄る。小雨模様である。時間通り(15:12)に到着したバスに乗り込み羽黒山に向かう。およそ10分程度で到着。山頂から随神門まで大小の社がある。まずは手水舎を通り三神合祭殿を参拝す。雨空ではあるが小雨模様の為、数多の末社をたどりながら随神門までの1700mの杉並木を降りることにする。途中国宝の五重塔を大きな目標である。樹齢数百年の杉が天を突くようにすうっと伸びている横の石畳を傘をさして下る。次第に雨が強くなる。そして土砂降りとなり、石畳は川となる。途中の末社で雨宿りをするも衰える様子もなく、雨は容赦がない。傘が役にたたないような豪雨の中、足元に注意しつつ下る。右に五重塔を見えてくる。しかし。半身を足場と布に覆われている。工事中であった。この辺から、今回の旅の模様が暗示されていた。ほうほうの体で宿に戻る。敷地内に末社が二つあるような由緒正しき宿坊である。縁起は書かれていないが数百年の歴史を持つものであろうことは容易に想像される。客は外国人が多い。古来の日本を体験していただければ幸いである。

 翌朝も当然の如く大雨である。しかし天気予報には10時頃から持ち直すと出ている。では参りましょう。7 :00に出発し一時間ほどで月山(1984m)八合目に到着する。外は嵐。まるで台風の中にいるようである。しかし駐車場には何台か車がある。レストハウスや神社に通う人たちのものであろう。まずはレストハウスにて作戦を練る。コーヒーを啜りながらスマホの天気予報をと窓の外の現実を見比べる。両者は手を組み我々の行手を阻もうと努めている。予報は徐々に後ろにずれ、雨が上がるのは12時に後退している。山頂までは弥陀ヶ原を通り2.5〜3時間とある。旅行者である我身は決行か否か迷うのだが、折衷案で「とりあえず弥陀ヶ原を周ってみよう」ということになる。雨具をしっかり身につけ、傘を差し、整備された湿地帯の木道を歩き始める。周回30分程度の高山植物の生える湿地帯である。終わりつつある日光キスゲが首を上下左右に揺らしながら暴風雨の中、我々を迎えてくれる。15分程度で山頂への分岐点に達したが、この小道はすでに川になっている。大量の雨水が全てその小道に集約され一つのうねりになっている。その豪たる流れが我々の無謀なるチャレンジを完全に嘲笑っているのに遅まきながら気づいた。「無理だ! 戻ろう!」しかし、下りの道もすでに奔流と化している。我々は十分に足元を注視ながら水面下15〜20cmに見え隠れする石に足を落とし、滑り転げるのを恐れながらレストハウスに向かう。「いくら君」は登山靴であるが、長谷川氏は白い地下たびである。かなり足元が不安定なはずだ(その日夜氏は脹脛を揉んでいた)。車に撤退し、とにかくずぶ濡れの全ての客いを後部座席に放り投げ着替えをして出発した。大いなる的に道を阻まれ、それどころかあまりに小さく弱い存在を嘲笑われ、逃亡したのであった。いや、考え方を変えよう。これはまた来い!ということなのだ。来年のリベンジを誓い合った二人である。

 一時間ほどで湯殿山神社(1500m)に到着。パンフレットによると「古来、出羽三山の奥宮とされ、修験道の霊地であり、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄秘密の世界である。」とある。語るなかれ。聞くなかれ。ひみつの道場。芭蕉も戒めを守り、「奥の細道」で本山についてはほとんど触れていない。あえて、ここに自分の体験を記してみる。本宮に当たるとまず、常駐の神主から「裸足になること」を求められる。500円を払うと紙製の人型とお守りを渡され、清浄の祝詞を読み上げられる。人型に自らの弱点を当てたのち、川に流す。ちなみに「いくら君」は頭と腹と股間に当てた。裸足で赤ちゃけた岩場を登る。そこは湯が沸いており暖かい。お参りをしたのち足湯に入り、現世に戻る。なかなか面白い体験をさせてくれる令嬢であった。こちらの修行僧で苦行ののち即身仏の荒業を行うようだ。

 一時過ぎに湯殿山を出て、「山伏温泉ゆぽか」に向かう。小一時間走る。午前中の荒天は嘘のように過ぎ去り日差しさえ出ている。我々はやはり天におちょくられている。ナビに従い温浴施設に入るも広い駐車場に車はない。そこで私は受付付近に目をむけ叫んだ。「本日休業だって!」嗚呼。どこまで行っても我々は天に見放されている。

 一気に本日のお宿「五色亭」に向かう。3時前に到着。笑うしかないのである。

 

 翌日は、高速を飛ばし、山寺へ。住所も山寺、ポスターも山寺である。芭蕉の「閑かさや岩に染み入る蝉の声」で有名な立石寺。正式名称は宝珠山 立石寺という。でも「山寺」なのだ。土産屋の駐車場に車を停め「根本中堂」から「日枝神社」「念仏堂」などを通り「山門」へ。ここから有料の世界。長い階段である。古の世界を彷彿とさせる奥之院まで800弾の階段を登る。山すべてに多くの子院が並ぶ。最後に大仏殿・奥之院が鎮座する。景色は抜群である。梅雨の終わりの晴れ間の世界。どこまでもさまざまな緑の世界。清々しい。晴々とする。身は清められた。下山し蕎麦をいただき土産を購入し帰路に着く。11時発。横浜に自宅には17時に到着。ありがとうございました。

 

 

読書について 2024年7月17日

斎藤哲也『哲学史入門II』読了

 前回に続き、『哲学史入門Ⅱ』読了。ここで扱うのはデカルトからカント、ヘーゲルまで。

第一章 転換点としての17世紀(上野修)。ここでは現代哲学の萌芽ともいうべき、デカルト・ホッブス・スピノザ・ライプニッツを扱う。

第二章 イギリス経験論(戸田剛文)。ここではロック・バークリー・ヒューム・トマスリード、この辺りを扱う。

第三章 カント哲学(御子柴善之)。カントの独特な用語の説明をしつつ三代批判書を扱う。

第四章 ドイツ観念論とヘーゲル(大河内泰樹)。フィヒテ・シェリングを押さえた上でヘーゲルに取り組む。

特別賞 哲学史は何の役に立つのか と銘打ち、山本貴文・吉川浩満と筆者の鼎談である。

 前回も書いたが、本シリーズは、人文ライターを称する著者(編者)斉藤哲也が、その道のオーソリティーに聞くという「聞き書き」形式を取る。しかし斉藤氏も哲学に対し相当造詣が深く問題意識も高い。よって彼がな発す質問や感想はその道のプロにとっては、現代的意味も刺激もあるものなのであろうが、「いくら君」のような素人には、造詣の深いもの同士が意気投合しているのを目の前で当てつけられ、不明のまま置いてきぼりにされるような感じがする。レベルの高い人が山の八号目を登っている様子を五号目から見ているような、疎外感のようなものとでもいうか。だからというか、第三章カントの項は、多少カントに触れているため、勉強になったし、彼らが言おうとしていることはかなり明瞭な輪郭を持つことができた。しかし、他のところはイマイチの理解に終わった。不完全燃焼感。

 従来の哲学史は、学説を中心に誰がどういうことを考えたのかというかたちで紡がれてきました。でも、新しい学知が生まれるのには、技術や制度が大きく関わっているはずです(267頁)

 そうなのだ。本書は「学説を中心に誰がどういうことを考えたのか」ということを並列させるような「従来の哲学史」ではないのだ。そういった過去の形式を踏襲せず、あるいは脱構築した上で新しい哲学史の意味を炙り出そうというのが意図だ。でも、と、「いくら君」は思う。それぞれの学説なり思想の従来の解釈を知らなければ、哲学者同志の関連性・影響などがわからないではないか? やはり五号目までは車で行けたとしても、そこから延々自分の足で歩かなければ八号目も九号目も況や山頂にはたどり着けないだろう。本書では質問者もすでに八号目にいる。五号目の俺はどうなるのだ? 

 カントの「批判」にしてもヘーゲルの「弁証法」にしても、教科書的な従来の解釈をトップランナーは批判する。しかし、「教科書的な従来の解釈」をよくわかっていなければ、最先端の批判も意味をなさないのではないか。それが、前編通して感じる不満である。

 

読書について 2024年7月12日

斎藤哲也編『哲学史入門I』読了

  結構派手に新聞広告を打っていたので、一応目を通しておこうかと購入した。2024、4月・5月・6月の立て続けのリリースだ。原田真二のデビューみたいである。斉藤哲也編『哲学史入門』Ⅰ読了。本書「あとがき」にもあるが、人文ライターである著者(哲学は素人という体)が、その道何十年の哲学者・哲学研究者にインタビューするという形式である。Ⅰは古代ギリシアからルネサンスまで。Ⅱがデカルトからカント、ヘーゲルまで。Ⅲが現象学・分析哲学から現代思想まで。そのⅠを昨日読み終わったというわけだ。

 本書は、学者の論文ではなく、少し勉強した素人が質問し、それに対し専門家が口語で説明解説するといった形式。これなら難解な哲学もわかりやすく提示できるのではないか、という発想である。なかなか面白いことを考えたなと思ったが、なんてことはない。「あとがき」で著者が種明かしをしているが、「聞き書き哲学史」の構想は、「哲学が噛みつく」「哲学と対決する!」(柏書房)から刺激を得たという。両書はどちらも「フロソフィー・バイツ」という哲学者インタビューのボットキャスト番組を書籍化した物である。(2017年の時点で総ダウンロード数は3400万という人気コンテンツらしい)そういった手本があった上で、令和の哲学通史を作ったといわけだ。

 本書は古代ギリシャ・ローマの哲学を納富信留氏、中世哲学を山内志朗氏、ルネサンス哲学は伊藤博明氏にインタビューしている。内容だが、正直に言って「いくら君」にはあまりピンとこなかった。古代ギリシアはソクラテス・プラトン・アリストテレスというビッグネームがいるので、それなりに今までどこかしらで触れており、予備知識のようなものが多少はあるのだが、ヨーロッパ中世となるとほぼお手上げである。スコラ哲学が教義的で厳格なイメージがあるくらい。ルネサンスはその反動、人間開放!。その程度の理解である。またヨーロッパといってもの様々だし、その時代のブームになった思想は歴史と必ずリンクしているだろうし(高校時代世界史をきちんと勉強しなかった!)、自身の知識の無さから、学者たちの言葉がどうもスムースに頭に入ってこない。また、新しい企画なので、今までとは違った哲学通史の入門書を作ろうという強い思いのため、結果としてある程度通史を理解している人でなければ、学者たちが語る面白さは理解できないのではないか、と感じた。

 またインタビュアー(著者?編者?)の斎藤哲也であるが、哲学の素人ということになっているが、著者紹介を見ると東京大学文学部哲学科卒とある。あまり素人である、とは言えないのでないか、とも思った。

 本書が成功しているのかどうかは判断しかねる。単に「いくら君」の勉強不足だということもありうる。

 しかし、思うのである。古代ギリシア・ローマの哲学が花開いたのは、ざっくり言ってBC600〜BC400頃。この間にビックネームは出揃っている。その後大きな「国家」が形成され、キリスト教が庇護され国教となるなる中世は300〜1200。戦争と神と停滞の季節だった。それを打ち破るルネサンスは1200〜1500。プラトンに帰るのである。どうもあまりに古代ギリシアが輝かしく見えてくる。デモクラシーが自由な発想を生み出し、巨大国家の支配が人々の心から自由を奪うのだな、と。

 まあいいか。次はデカルトからカント・ヘーゲルである。さて、どうなることやら。

読書について 2024年7月9日

黒川伊保子『孫のトリセツ』読了

 黒川伊保子『孫のトリセツ』読了。新聞で見てついポチっと。あっという間に読めました。

 筆者は、いくら君たちとほぼ同世代で2歳の孫がいる脳科学者・AI研究者である。これまでトリセツシリーズとして、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』『夫婦のトリセツ』など多数の著書を上梓してきた。そのシリーズの一環としての『孫のトリセツ』である。まず、冒頭にあるが、本社は孫の取扱説明書ではない。子育ての意識改革を促す啓蒙書、特に祖母祖父における孫への関わり方の指南書というところか。

 筆者は言う。我々が受けてきた昭和の教育、あるいは子供達に与えてきた平成の教育は「いい子」や「歯車人間」を育てるものであった。曰く、遅刻をしない。ルールを守る。与えられた課題を適切かつ迅速にこなす、等々。そういった20世紀21世紀型の教育はもう古い。これからはAI時代である。知識や課題解決はAIに任せておけばいい。大きな組織の有能な歯車思考ではこれからの時代を生きていけない。これからはAIにできない、あるいは彼の弱点である「発想力」「対話力」「問いを立てる力」を磨かねばならない、と。

 では、「発想力」「対話力」「問いを立てる力」を伸ばすには何が必要か。どういったことに注意すべきか。その根本になるのは自己肯定感である、と。何をいっても自分は認められている、という安心感、これが発想の自由さを磨き伸ばすと言うのだ。だから、いきなりのダメ出しはNGである。彼らの柔軟な発想力を殺してしまう。なぜ宿題をやらないんだ! なぜ、忘れ物ばかりするんだ! なぜ、先生の言うこたが聞けないんだ! こんなダメ出しばかりしていたら、子供は萎縮し、思ったこと、気がついたことを口にしなくなる。口にしなくなれば深く思考しなくなる。自己肯定感は減り、周りを見て同じように、突出しないように、と考えるようになってしまう。

 しかし、子育ては根気が必要だ。母が仕事に行く時間帯に、子供がご飯を食べない、ぐずぐずしている、などて怒鳴ってしまう気持ちはよくわかる。親は若く、またストレスも多い世代だ。彼らを責めるのは酷というもの。そこで登場するのが、祖母祖父である。我々は、孫が可愛いのは当然だが、親よりも距離を保つことができるし、余裕がある。だから、孫の母親(娘・お嫁ちゃん)を第一に立てながらも、やんわりと孫を包み込み、彼らの心理的安全性を確保してやらなければいけない。こんなことを言ったら叱れれる。こんなことを言ったら馬鹿にされる、という萎縮した心理状態では、自由な発想は育たない、というわけだ。

 そのことを保持できるよう、母親経験者であり祖母でもある筆者自身が具体的な問題を提示し解決策のヒントを与えてくれる。「はちみつ問題」「背中スイッチ」「鼻水吸引機」こう「公園デビュー」「ワセリン」「うんち」「早期外国語教育」等々、筆者が出会ってきた多くの悩みを具体的に挙げ脳科学者らしく答えをのヒントを提示する。

 最後に、一つ面白いと思った項目。

 P106「早期外国語教育は、是か否か」の項で、こんな文章で当たったので以下引用する。

 「日本語は、母音を主体に音声認識する言語である。母音は複雑な波形のアナログ音で、自然界の音(笹のこすれる音、小川が流れる音、風の音、虫の音……)とよく似た音声波形を持つ。このため、日本語で育つと、自然音を微細に聞き分ける能力が高い。具体的に言うと、日本語の使い手は、自然界の音を左脳(知覚した音に情緒的な意味を付す場所)で聞くのである。ひぐらしのカナカナという鳴き声を聞いて寂寥感を覚えるのも、笹の葉のサラサラという音を聞いて清涼感を覚えるのも、日本語の使い手に強く働く感性なのだ。」

 各国の人の国民生のようなものは、彼らが話す言語の特性によって脳のどの部位を刺激するかに違いから生じるらしい。これは新しい知見として記憶くにとどめたい。

 

その他のこと 2024年7月7日

昨日早朝

 最近、いくら君は絶好調である。体調がいい。腰も痛くない。精神的にも安定している(小説を書いていないから)。だから、チョコザップへ毎朝行く。→そのため体調がいい。全て好循環。悩みといえば、競馬が当たらないことくらいか。

 まあ、ともかく、チョコザップへ毎朝通う。もう少し涼しい頃は朝散歩して、チョコザップでストレッチ・筋トレという感じだったが、最近は暑いので、ウオーキングもマシンで行う。もう一つ、睡眠時間は以前と変わらないが深さが違う。ガーっと眠ってシャキッと目がさめる。起きてすぐ行動可能だ。

 で、朝2時半(普通他人は深夜と言う)にチョコザップへ行ったら、酔っ払いのお兄さんがマシンの前で寝ていた。一年通っていて初めてのことであった。少したじろいだが、すぐ気を取り直し、あらあら頑張っているわねー、と一瞥を投げかけて、いくら君はバイクへ向かうのであった。そしてストレッチを20分行う。それから徐にマシンに向かう。いくら君のルーチンは①ラットプルダウン→②チェストプレス→③レッグプレス→④アブベンチの順だ。

 ①を行う。上腕あるいは背中の筋肉に刺激を与える。②にはお兄さんが寝ているため、③へ。その間に酔人がゴソゴソ動くので目を向けると、あら不思議、もうそこにはいない。あら帰ったのかしら。さほど気にせず、②で大胸筋を鍛える。ルーチンを終えマッサージ椅子に座り、ふと視線を変えると、酔人は私が始めにやった①の椅子で寝ている。あらあら、彼は酔い眠りながらも頭の奥でいくら君のことを気にかけ、場所を開けてくれたのだ。寝ながら他者に気を遣っている。あるいは、寝ながら若干の後ろめたさを感じているようだ。少し申し訳ないような気持ちになる。

 さて土曜のAM2:30。チョコザップにて。酔っ払って寝ている会員Aと早起きすぎるジジイB。さてどちらに正当性があるか。6対4で彼が勝つような気がする。あるいはどっちもどっち? 少なくとも全面的にいくら君を支持する人間はいない気がした。反省する。

読書について 2024年7月7日

メルビィル『白鯨』読了。

 メルビル『白鯨』ようやく読了。長かった。岩波文庫版で上中下三巻、ページ数は1000オーバー。1ヶ月間この作品と格闘した。

 作者はハーマン・メルビル(1817〜1891享年72歳、米国)である。小説だけでは食えずさまざまな職業を経験した苦労人である。本作の名を知っている人間はとても多い。生前には世間に認められなかった本作も、彼の死後高い評価を得ることとなり、今ではアメリカ文学の代表的作品の一つとして数えられる。ところが、意外に読了した人間は少ないという話がある。長さ、退屈さなどによると推察される。それは翻訳の問題も大いにある。私が読んだ今回のものも、何せ、訳が古かった(私の手元にある岩波文庫は阿部知二訳初版は1956。その後改訂されていない。ちなみに現在の岩波文庫は八木敏夫訳でありこちらの方が読みやすそう)。その上、原文も相当時代性を表していると思われる。それも魅力の一つなのだが。

 時は日本史的にいえば江戸時代(19世紀前半)。当時アメリカでは捕鯨が大変盛んであった。周知の通り日本近代化のきっかけはアメリカの捕鯨文化である。鯨から採れる油が灯明用として大変需要が高い上に、また、肉・皮・骨・龍涎香(鯨の腸内から採取される香料)などいずれも珍重されたようだ。彼らは鯨を追い、ニューヨークを出港し、希望峰・印度・マレー半島・台湾を通過し、はるか東(極東)の島国日本沖まで船を走らせるのだ。船上で仕事をし、毎日同じ顔を突き合わせ、無事帰還するまで数年、ストレスも相当なものであったに違いない。大変な時代であった。しかし、未知との遭遇という浪漫がまだまだ大いにあった時代でもある。

 物語の大筋は、「モビィ・ディック」と名付けられた白い巨大(体長20mくらい?)なマッコウクジラに以前片足を食いちぎられ、その復讐に燃える「捕鯨船ピークォド号」「船長エイハブ」が陣頭指揮にあたり、命を顧みず白鯨を追い求め、遥か太平洋日本沖まで旅をする海洋小説である。海洋小説であるが、冒険小説ではない。著者の主眼は冒険には置かれていないからだ。

 語手は船員「イシュメイル」。当初は一人称で登場するも、じきに物語には登場しなくなり語手に徹する。イシュメイル初め多くの男たちが捕鯨船ピークォド号の乗組員となりニューヨークを出港する。しかし、なかなか船長エイハブは姿を見せない。船長室から出てこない。居るのにいない。このことが船員たちの妄想を膨らませる。みな噂でのみで彼の経歴を知る。以前捕鯨船乗組員(の中でも花形である銛手)であった若かりし日のエイハブはその時の航海で「モビィ・ディック」に片足を齧られ、今は膝下鯨骨の義足をつけている。また、かなり傲慢で偏屈な人間であるらしい、etc。

 そして出航後数日して、老船長エイハブは皆の前に姿を現し、本航海の目的を告げる。つまり、この航海は「モビィ・ディック」への復讐の旅である、と。金で雇われた船員たちにエイハブは私怨を晴らすことを強いる。当初困惑した乗務員たちもエイハブ船長の異様なまでの執念に圧倒され次第に共感していく。つまり、一丸となって「モビィ・ディック」を探しあて、銛を突き刺すことを夢見るようになる。それに対峙するのが一等運転士「スターバック」である。米国に家族を残している彼は、エイハブに敬意の念を持ちつつ、冷静に彼の蛮行を批判する。時にはピークォド号が無事ニューヨークに帰還するためには、エイハブ船長を殺害するしかないと思いつめるも、結局それにも及ばない。ちなみにコーヒーチェーン「スターバックス」は彼からきているらしい。創業者が3人いたので複数形にしたということである。

 さて、先に、この小説は海洋小説ではあるが、海洋冒険小説ではない、と、書いた。冒険譚ではないということだ。その手のハラハラドキドキで読者の興味を惹きつけ、最後にカタルシスを感じさせるもの、とは種類を異にするのである。大きな柱は復讐の船旅ではあるが、それよりも、船員の出自・性格・肌色を細かい描写、あるいは、鯨の種類・生態に対する説明、捕鯨の方法論、船の構造、鯨の肉体的特徴、鯨の捌き方、またその油の量・質・匂いの凄まじさ、時に出会う他の捕鯨船との交流等々、白鯨を求め航海するという大きな柱に様々な髭根が絡みつく。それもシェイクスピアの芝居のような大仰な台詞、また旧約聖書やギリシア神話からの多くの引用など、ラストに向かい作者の筆は寄り道だらけで全く急いでいない。まるで、長い長い退屈な船旅のようだ。小説の構造自体が船旅のメタファーになっている。それが物語の大きさになっている。

 また、乗組員は白人、アフリカから連れてこられた奴隷の末裔、あるいはネイティブアメリカン(インディアン)など多数の、さまざまな背景を持つ人種が混交している。乗組員=人類ということか。となると捕鯨船ピークォド号はノアである。旧約聖書からの引用多数ではあるが、乗組員がのぞれぞれの宗教も大切に描かれる。世界人類の旅の物語。

 最後に、ようやく、日本沖で「モビィ・ディック」に出会い銛を突き刺すも、三日三晩の格闘の末、乗組員は一人を残して、みな死んでしまう。生き残った一人は木端に捕まり数日後奇跡的にたの捕鯨船に発見され命をひろう。それが語手「イシュメイル」である。ラストシーンは壮絶でありながら高貴でもある。素晴らしいものを手に入れた。長編小説が持つ豊穣さが素晴らしい。

 

サウナについて 2024年6月21日

秦野菜園見学

 以前,トーイちゃんと呑んだ際,大玉トマトの仕立て方がひとしきり話題となった。彼は市民農園を借りて菜園ライフを楽しんでいる。トマト名人を自称する。

 過去に,私は大玉トマトを納得いく形で育てたことが一度たりともない。理想としては3個×5段の採取なのだが,葉っぱばかりが繁り実がまともにつかない。せいぜい一段目に1.2個なっておしまい。それも不細工な形。

 今まで彼の大玉トマト自慢に羨望と懐疑の念を持っていた。彼は「とにかく葉を落とせ」という。丸坊主になるくらいに!と,いささか極端なことをいう。それでは光合成はどうなるのだ?

 では,トーイちゃんの畑を見せてくれ,いいよ,というわけで今回の訪問に至った。

 私はお土産の野菜を載せ,秦野に向かう。彼は田舎の山形から送ってきたといって,私に「桜桃と新蕎麦」をくれた。すでにここでは交換様式Aの関係性が構築されている。近代資本性を超えたところの回帰である。田舎のオッサン同士の絆というところか。

 湘南ナンバーの車で菜園に向かう。よく整備された市民農園で,スコップや鍬などはそこで借りることが可能だ。水道はある。綺麗に区画化された小さな畑に創造者の思いが投影されている。キョロキョロするだけで様々なサンプルを見られ,勉強になる。向かう途中,彼の畑の知り合いからトマトを褒められていた。

 さてトーイちゃんの区画である。小さな区画に整然と野菜が配置されている。まず目につくのがやはりトマトである。場違いなほど立派なビニール屋根があり,周りは網で囲まれている。作り手の長年に渡る試行錯誤と現代における到達点が見られる。肝心なトマトであるが,1段目に立派な大玉が着いている。4段目まです実らせている。7段目の花が黄色い花を咲かせていた。スッキリとしている。葉が少ない。実りがグラデーションで可視化されている。私は唸った。ふ~む。さすが一過言持つだけのことはある。どうやら,肥料管理と摘心・摘果・滴葉が味噌であるようだ。とにかくシンプルな姿になるようしっかりと土作りをしながら過肥せず管理することが寛容らしい。勉強になった。ありがとう。

 畑を後にし,向かった先は,温浴施設「湯花楽」である。トーイちゃんのホームサウナである。ボロいボロいとdisる。ロッカーが壊れているとか,炭酸泉が壊れているとか。

 入泉の際,タダ券をくれた。前回クジを引きで当たったという。また,本日はシニアDAYでくじ引きがあるという。まさかそんなことは・・・。

 下駄箱は幾つか使用禁止の札だ下がっている。メンテナンスまで手が回らないということなのか? 受付でクジを引く。彼ーハズレ。普通である。そんなにしょっちゅう800円相当のタダ券を配っていては経営が傾くであろう。さて,私の番だ。手前の奴を引く。何やら棒の先が赤い。アタリである。タダ券で入りタダ券が当たった。無限ループ。ニラを思った。こんな人の良いことをやっているが,経営は大丈夫か?

 お風呂ははまあまあ(炭酸泉がいかほどに健康に良いかを大々的に語るパネルの下にひっそりと炭酸作成装置故障のお知らせがあった)。サウナは最高であった。

 今日は「サザエさん」のように二本立てであった。次来る時も「湯花楽」があるといいな。

  帰宅後サクランボをいただいた。甘酸っぱくてうまい。そういえば昨日は桜桃忌であった。

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