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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

       いくら君のこころととのう日記
その他のこと 2024年5月15日

認知症の始まり

 深夜に目が覚め,考えるともなく,何事かを考え,「そうだ,今日は肥料などを買いに行く予定だから,あれも買ってこよう!」と思いつき,スマホにメモしよう,ついでにトイレにも行こう!と,立ち上がる際何事かが今までの思考の純度に擦り傷をつける。スマホはどこだっけ?とか,起き上がる時は腰が痛い!など。

 で,トイレにてようを済ませながら,メモしようとスマホを開くと,もうすでにアレの正体が完全に消えている。その後いくら考えてもアレは姿を表さない。

 そういう類のことは,以前からあった。要は頻度の問題だ。この頃増えている気がする。

その他のこと 2024年5月12日

母と認知症と糠漬け

 

 毎日顔を合わせる息子である「いくら君」から見て,母の認知症は進んでいる。

 母は愛情表現が下手な人である。しかし,東北の寒村から出て,都会で住み込みのお針子の仕事をし,父と出会い,私と妹をもうけた。

 母の実家は水呑で貧農子沢山。漬物と米とたまの干物くらいしか,口に入るのもはなかったと言う。

 だからかどうなのか、母の料理は美味かった。テレビを見ればメモをし新聞を切り抜き自分なりのレシピ集を作り,自分が子供の頃には見たことも聞いたこともないような料理を我々兄妹に食べさせてくれた。

 父は酒飲みである。そして彼はなかなか味にうるさい。だから彼女はつまみも工夫した。

 梅干しもつけたし,ラッキョウ梅酒,糠漬け等々。

 一日中動き回り,針仕事をし,料理を工夫し,花に水をやり,洗濯をし掃除もし,休むことを知らなかった。子年の特性か? 

 86歳まで我々夫婦とともに畑へ行き,三分の一以上の仕事をした。収穫・支柱立て・草取り。

 彼女が草を抜くとそこから新しい草が生えるまで時間がかかった。仕事は早くしかも創意工夫に満ち,丁寧だった。

 2年前の夏草むしり後に具合が悪いというので医者に連れて行った。心筋梗塞即入院。2箇所ステントを入れ,3週間後に退院した。コロナの影響でその間,顔を見ることすら叶わなかった。

 別人のように痩せた。気力が失せたようだ。散歩もせず,窓際でいつも死んだような目でぼんやりしている。何を考えているのか?何も考えていないのか?ふわふわとした世界に漂っているのか?それは心地いいのか,不快なのか,あるいはそれすら感じないのか?

 俺は仕事を辞めた。母の問題とは関係はない。妻が仕事の日は,当初母が昼食を作ってくれた。

 昔の母の料理は,味はもちろんのこと,見た目も華やかで美しかった。私より10歳年長の従兄弟「清さん」は数年前俺に話してくれたことがある。

「おばちゃんのご飯は美味しかったなー。田舎では見たこともない,味わったこともない,ご飯を俺に食べさせてくれた。ホントおばちゃんの料理はうまかったなぁ」

 ちなみに彼は米農家以外に料理人として店を2件持っていた。

 数ヶ月前,久しぶりに母が昼飯を作ってくれた。驚いた。ショックだった。というのも飯が汚ないのである。そして不味かった。これは母の仕事ではない。悲しくて情けなくて仕方がなかった。次から2人の時は必ず俺が昼飯を作った。大したものではない。ラーメンとか,焼きそばとか,ウドンとかそんなもんだ。それを食べてくれる時もあるし,食べてくれない時もある。

 そういえば最近漬物が出ない。母に確認してみた。去年の夏,糠床をダメにしたと言う。でも今仕込んであるから。もうそろそろ漬け始めてもいいから。

 畑でいいカブができた。母に渡した。しかし数日経っても食卓に上がらない。糠床を見た。表面はカビが生えていた。カビを取り,中に手を突っ込むと,浸かりすぎたカブが出てきた。食べてみたが喰えたのものではない。捨てた。涙が出た。

 翌日から俺はうちの糠漬け担当?管理人?になった。

 母は俺の作ったものを、気に入れば喰う。口に合わない場合,少し箸をつけるだけ。そして俺の目の前で大量の残飯を平気で捨てる。最初は頭に来た。でも,彼女はもうすでに我々が考えているものとは違う世界の住人になってしまったようだ。ようやくそれに気がついた。

 俺は美味い漬物を作らねばならない。彼女の味覚に合う昼飯を(たまにだけれど)作らねばならない。出ないと容赦なく捨てられる。俺はそんなに偉そうに言えたものではない。妻がもっとも大変だ。感謝している。

 

子に帰る米寿の母より引き継ぎし糠漬けの味涙のそれよ

 

斑らなる母の作りし糠床に萎びたカブを見つけ決意す

 

米寿すぎ時の重みに解かれつつある母託す糠漬けの技

 

 そういえば今日は母の日だった。

 あとで花でも買ってこよう。

畑について 2024年5月12日

久しぶりの土起こし耕運

2月上旬に播種し,ビニールトンネルをかけ極寒の時期を乗り越えてきた「ミニ大根」の収穫も終わり,次の「サツマイモ」用の土地を確保すべく,一月下旬以来久しぶりの土起こし及び耕運をした。

投入した資材は次の通り。

AG土力(微生物資材)・米糠(微生物資材の餌)・籾殻(土ふかふか水捌け等)・発酵鶏糞(バランス良い有機肥料)・蠣殻石灰(土のpHをアルカリ寄りにする,カルシウム資材)・イネニカ(ケイ酸,保水水捌け)。

そしてミニ耕運機で攪拌し,今の季節なら2週間放置。その後今一度耕運し,最後,普段より高畝にし,黒マルチを貼って,苗を差し完了。あとは伸びる蔓を適当に捌くだけ。うまいサツマイモがたくさんできますように!

旅について 2024年5月12日

秩父32番札所法性寺

 友人に誘われ秩父32番札所法性寺にお参りしてきました。

 ことの成り行きは以下の通り。

 彼は,もちろん狂信的ではないが,だからと言って古刹名刹を美術品として鑑賞する人でもない。現代の人にしては神社仏閣に詳しく,信心深い人の部類に入る人というところだろう。

 その彼から,秩父の寺へ行かないかと誘いを受けた。彼は西国三十三所も坂東三十三箇所も,そして今回の秩父三十四箇所も済ませている。合計100!(秩父は無理やり34にしたのか?)

 ちなみに四国八十八箇所も満願成就である。私からいえば,お参りのプロである彼が,なぜ無知ないくら君に声をかけたか?

 秩父34を3回の秩父訪問で終えた彼には,一つ心残りがあった。それは32番法性寺(こちらの奥の院は険しい山の上にある)の,最終院である奥の院に前回辿り着けなかったとのこと。

「そこは山道険しく最終場面では蔦が垂れ下がった岩場をクライミングがごとく上らねばならず,あまりに危険で断念した。2人ならばなんとかなるのではないか」と考え,いくら君に声をかけたという次第である。

 ところが,彼はいろいろ他者のブログを漁り,かなりの老人も奥の院へ行っている。前回私は道を間違えたのではないか? という疑念が湧いて来たようである。

 当初予定日は5月9日であったが,天候がよろしくなく,11日に延期になった。

 起床すると天気予報通り,快晴である!

 朝8時に来るという約束であったが,6時半過ぎにいくら君のうちに到着。慌てて飯を書き込んで彼の車のハンドルを握ったのである。

 土曜日にしては順調に流れた。9時過ぎには目的地に到着。住職に簡単な説明を受け手書きの味ある地図をいただけ出発した。

 山道である。巨大な岩がゴロゴロしている。あるいは岩盤に寄り添うようお堂がある。

 巨岩の割れ目からさらに奥へ進む。空気が変わった。冷涼で厳かである。そこから道が険しくなる。獣道のようでいて,実はさりげなく人の手が入った狭い道を登る。

 彼は我々の歩く道から数メートル上を指し,「俺が歩いたのはあそこだ!」と叫んだ。

 「正しい道」はその下を岩盤を巻いて目立たぬよう整えられていた。それからじきに景観のいい場所に出た。まさしく新緑の世界である(杉の植林の多さに多少鼻白むが)。

 とうとう最後の鎖場を登って奥之院到着である。彼の蟠りも霧消した。

 正しい道を選ばねば目的に辿りつかない可能性が高まるのは,古来,ものの道理である。

 わらじトンカツにかぶりつき「星音の湯」で汗を流し,帰路に着いた。車は順調に疾走した。

 いい天気だった。緑はまだまだ優しい。5月の晴天は暑いとはいえ空気が乾いていて風が心地よい。いい小トリップでありました。

 ありがとうございました。

 

読書について 2024年5月8日

千葉雅也『現代思想入門』読了

前回の『勉強の哲学』からの流れで本書を手にする。

 哲学者であり小説家でもある千葉氏による彼の40代における総決算が本書である。

 10代から現代思想を勉強してきた氏による,ある意味での青春の書ということになるのであろう。

 氏に言わせると,「現代思想」とは1960年代から1990年代にかけてフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学をさす。デリダ・ドゥルーズ・フーコーの3人の哲学を中心に本書は展開する。

 今,現代思想を学ぶ意味は何か? 「現代思想は,秩序を強化する動きへの警戒心を持ち,秩序からずれるもの,すなわち「差異」に注目する」ものである。つまり「排除される余計なものをクリエイティブなものと肯定」することであり,その源流を遡行すると「ニーチェ」に突き当たることになる。

 秩序化が異常な力で進められ,息苦しい現代社会において,管理化🟰ユートピア🟰ファシズムから知的に逃れるためにもぜひ学びたい思考法である。

 デリダ・ドゥルーズ・フーコーに共通することは「二項対立の脱構築」である。では根底にある脱構築とはいかなる思考法か? それは「物事を「二項対立」,つまり「二つの概念の対立」によって捉えて,良し悪しを言おうとするのを一旦保留する」ことである。「二項対立」により生じるプラス/マイナスは,絶対的なものとして決まっているわけではなく,厄介な線引きをともなう」ものである。「その線引きの揺らぎに注目していくのが脱構築の思考である」と言える。デリダは「概念の脱構築」,ドゥルーズは「存在の脱構築」,フーコーは「社会の脱構築」を行ったと筆者は整理する。

①デリダー同一性/差異という二項対立において「差異の方に注目し,一つの定まった状態ではなく,ズレや変化が大事だと考える」。つまり同一性は絶対ではないというマインドを持つ」ことの大切さを筆者派強調する。

②ドゥルーズー 「固定的な秩序から逃れ,より自由な外部で新たな関係性を広げていくこと,自分の殻を破って飛び出していくこと」というメッセージを発した哲学者」であると筆者は纏める。

③フーコーー正義/悪の二項対立図式をフーコーは揺さぶる。「支配を受けている我々は,実はただ受け身なのではなくむしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造があるということを明らかにする」のである。我々は意識しにくいレベルで「長いものに巻かれろ」的な「自己従順化」するような仕組みに巻き取られている。「統治」のシステム外を意識化し,秩序の外部に「逃走線」を引くことが,フーコーの狙いであると筆者は指摘する。

 入門書は数あれど,本書は現代思想をこれから学ぼう!という人間に対する応援歌と補助線という意味において,秀でているとともに優しさに満ちている。筆者の選ぶ言葉は,気取った哲学語を噛み砕いて,現代日本語で語られる。つまりそれだけ複雑な思考・哲学を自分のものにしているという査証だとは言えまいか。硬直的な思考回路から抜け出し,心を痛めず,俯瞰的な視点を身につけて,クールにいこうぜ!という筆者のメッセージを,「いくら君」はしかと受け取り,また「畑」に,あるいは「カント」に,戻るのでした。

旅について 2024年5月7日

浜松祭り

 5月4~5日,一泊で浜松に行ってきました。完全形での祭りは5年ぶり。昨年の今頃はまだ5類に移行していなかったのですね。

 目的は浜松祭りなのですが,きっかけは娘の相方が多感な思春期を過ごした場所,つまり転勤族であるあちらのご両親が子どもらと比較的落ち着いた生活を送っていた場所だからです。

 あちらの親父さん(エネルギッシュで大変愉快な方)は大の祭り好き。5年前案内してくださり,我々夫婦も大の浜松ファンになったという次第です。

 祭りは二段階に別れます。前半は砂丘にて凧揚げ。夕方からは中心部で屋台の練り。ラッパ隊が独特な音楽を響かせ,祭りに活気を与えます。

 地元の方々は皆法被を羽織,精一杯のオシャレをして屋台を引いたり,提灯を掲げ練りを盛り上げていました。

 しかし,気のせいかもしれないけれど,以前よりおとなしいというか,破壊的な力が幻滅し,上品になってきているような気がします。

 これも世の流れなのですかね? 権力からの規制あるいは忖度による自主規制? 継続するには避けられないとはいえ,やはり寂しい。

 今の若者の中には,「盗んだバイクで走り出し🎵」と尾崎の魂の叫びを聴き,悪いことをしてけしからん!と本当に思う奴がいるとか。

 こうなると嘆かわしいの一言になってしまいます。

 孫の青春時代のデフォルトはどうなっているのかなぁ。

 話がそれました。娘夫婦にも向こうの両親殿にも大変お世話になった二日間でした。

ありがとうございました。またよろしく!

畑について 2024年5月7日

夏野菜ひと段落

 

 トマト・きゅうり・ナス・ピーマン等の夏野菜の苗定植を終え、とりあえずひと段落です。

 私がお借りしている農地は飛び地だったのですが,お隣が撤退したため,1aほどの土地4面を連続的に使えるようになりました。さらに冬でも使える(日が当たる)土地が増えました。

 そこで昨年の12月後半から1月下旬にかけて,3面の土作りに精を出してきました。まずカチカチになった土をスコップで30cmほどの深さで起こします。その際・蠣殻石灰・米糠・鶏糞・カルスNC-rかAG土力(土壌改良資材)を混ぜ込みました。完全に人力のみで20日かかりました。

 2月すぎからは年越し野菜(玉葱・大蒜・ラッキョウ・絹さや・スナップ・グリーンピース)のお世話が始まり、同時に春先に食べられるようにと,ビニールトンネル内に小松菜・ほうれん草・ミニ大根・カブ等を播種しお世話をしました。

  3月にはその年の実質上の畑始めと捉えている馬鈴薯が始まります。今年は実験で購入した種芋以外に昨年採取したの物も植えてみました。正確な結果はまだ出ませんが,やはり買った種芋の方が成長がいいようです。しかし,冬場の管理の問題でもあるので,さらに研究し,種芋を買わない,永遠サイクルを目指します。

 4月は里芋。これも種芋を購入しましたが,冬場の管理を工夫したいと思います。中旬は生姜定植。

 また2月から自宅で播種し育ててきた苗たち(レタス・ブロッコリー・南瓜・キャベツ等)の定植。

 その間,葉物をちょこちょこやり,そしてようやく夏野菜(トマト各種・ナス各種・胡瓜・シシトウ・ピーマン・唐辛子・スイカ)定植とすすみました。

 また,枝豆・インゲン・ツルムラサキ・オクラ等を播種しひと段落しました。

 当然終わりはありません。お百姓さんというだけあり仕事は無限にあります。日照りにヒヤヒヤし,長雨に心痛め,草むしり草刈り,土作り,播種・追肥・・・。キリがありません。

 が,とりあえずここでひと段落しました。

 あとは基本的にはお日様にお任せしましょう。私は少しお世話をするだけ。あとは自然の恵を静かに待ちます。

 あ,今月下旬にはサツマイモの定植があります。そこの土作りをせねば。

 百姓には基本休みはありませんな。疲れますが,喜びです。

さあ,今年は昨年以上に美味しい野菜をたくさん作ろう!

読書について 2024年5月1日

千葉雅也『勉強の哲学』読了

 筆者「千葉雅也」は、フランス現代思想の研究者であり、立命館大学教授であり、小説家でもある。ドクター論文のテーマが「ドゥルーズ=ガタリ」だというから、フランス哲学あるいは言語論(ビトゲンシュタイン)を掘り下げてきた人のようだ。1978年生まれであるから現在45歳。本書上梓が2017年4月であるから30代後半の作品ということになる。

 本書は4章に分かれ展開する。

 1章「勉強と言語」我々は通常社会のコードに支配され日常を過ごしている。勉強とはそのコードを破壊することである、と筆者は述べる。「勉強とは、自己破壊である」と。「ラディカル・ラーニングとは、ある環境に癒着していたこれまでの自分を玩具的な言語使用の意識化によって自己破壊し、可能性の空間へ身を開くことである。」

 さらに2章では自由になるための思考スキルとして、「アイロニー」と「ユーモア」を紹介する。「根拠を疑って、真理を目指すのがアイロニーである。根拠を疑うことはせず、見方を多様化するのがユーモアである」。さらにこう付け加える。「勉強の基本はアイロニカルな姿勢であり、環境のコードをメタに客観視することである」が「アイロニーを過剰化せず」「ユーモアへ折り返す」ことを筆者は薦める。アイロニー過剰は絶対真を得たいという、実現不可能な欲望に支配されることに繋がるからだ。つまり、「言語はそもそも環境依存的でしかないということを認め」なければならない、絶対真に向かうのもいかんのである。

 3章「どのように勉強を開始するか」?そのためには「まず自分をメタに観察し」「現状に対する別の可能性を考える」必要がある。つまり「環境のなかでノっている保守的な「バカ」の段階から、「メタに環境をとらえ、環境から浮くような小賢しい存在になることを経由して、メタな意識を持ちつつ」「享楽的こだわりに後押しされてダンス的に新たな行為を始める「来るべきバカ」になる」のだ。

 第4章「勉強とは、何かの専門分野に参加することである」。まずは入門書を複数通読し全体像を掴む、そこから深入りしていくのだ。しかし、筆者は優しい。というのも「完璧な通読」はできないという意識で取り組め」といってくれるからだ。さらに読書の基本的方法は「これまでの自分の実感に引きつけて読もうとしない」ことである。勉強においてはテクストを文字通り読み、「自分なりの理解」と「どういう文言で書いてあったのかを区別しなければならない」。なぜならこの区別を曖昧にしていると知らぬ間に剽窃してしまうからだ。その防止に「読書ノート」を作るとともに「出典」を伏すことが大切だ。そのための、日々ノートアプリに向かう必要性を訴える。

 前半は理念的に、後半は実践的に勉強とは何か? 勉強をすることの意味。さらに勉強の仕方を具体的に提示してくれる。筆者はまだ若いがこれからさらに世界の言論あるいは哲学界さらに小説界をマルチに遊びながら知的リーダーとして成長していく人物であると確信する。

読書について 2024年4月30日

森永卓郎『書いてはいけない』読了

  森永卓郎『書いてはいけない』読了。

 本作は、2024年1月に上梓された、いわば、筆者畢竟の暴露本である。内容は〈ジャーニーズ問題〉〈財務省問題〉日航ジャンボ機問題〉の3点である。いずれの問題にも共通することは、巨大な力を持った(利権に塗れた)組織が、自らの不正を隠蔽すべく、マスコミを配下に納め庶民に不利なプロパガンダを行なっている。それは著者森永氏は命をかけて告発するというものである。

 それぞれ大変大きな問題を抱えており、また現代的で示唆が多かった。財務省の権力構造はそこまで行っているのか!政治家もマスコミも言論人も司法も彼らの意のままであるという。

 また日航ジャンボ機事件の裏側にはそんなことがあったのか!という素朴な発見と、それ以降の日本のアメリカへのポチ化の理由がよくわかる。多分、森永氏はいい人なのであろう。また、いつまでも子供の心を忘れず長い物に巻かれない清い心を持った人なのだろう、そいう想像がつく。昔から彼をテレビで見ているが、どうやら正しいことを言っているようであるが、どうも周りにあまり相手にされない、あるいは取り上げられることも少ない。しかし、消えることもない。これは一体なんだろう? 本書はおそらく真実が書かれているのだろう。また、言論の場で彼は真実を語っているのであろう。しかし、どうにも、そこには迫力というか毅然としたものというか、そういった力が見受けられない。どこか飄々としている。それが彼の魅力であろうが、また彼の弱点でもあると思う。ちなみに作者は昨年(2023)12月余命4ヶ月の癌診断を受けたという。時間はもうそこまで迫っている。しかし、テレビも新聞も彼のこの言論・暴露を相手にしない。悲しいことである。

読書について 2024年4月28日

柄谷行人『トランスクリティーク カントとマルクス』読了

 柄谷行人は2022年10月に彼の思想の到達点ともいえる『力と交換様式』を発表した。

これは資本主義の核心を追究する野心作であり、それを交換様式から見るという試みである。交換様式を武器に四つの事象を分析してみせる。その手腕はてだれており、彼自身の人生を大半をこの思考に回してきたため、練りに練られ、考えに考えられてきた思想であるため、難解ではあるが、非常に丁寧で例もわかりやすく、親切に我々読者を彼の思想に導く作品であった。

 ちなみに柄谷は1941年生まれである。本作発表時が81歳である。そのほぼ10年前に『世界史の構造』という大著を世に問うている。

 あらわれたものは違うが、根本にあるものは両者とも「交換様式」を軸に考察していく手法である。この2作の原点となるものが、今回の『トランスクリティーク カントとマルクス』である。柄谷はカントからマルクスを読み、マルクスからカントを読むといった交差した思想から新しいものを生み出す手法を「トランスクリティーク」と名付け実践してきた。ここでは柄谷自身がカントとマルクスを引用しながら考察を深めていくのであるが、彼自身まだ何が出てくるのかわからないような状態で、模索し思考しながら叙述しているといった感じであるため、思考の流れが整理されておらず、読者にはわかりづらい。

 『世界史の構造』『力と交換様式』は非常に整理されており、読者に対し親切であるが、『トランスクリティーク』は荒削りである。筆者もまだまだ若いということであろうか。誰が親切に欠いてなどやるものか、といった尖った矜持がある。(若い!彼はこの時、還暦であった!)

 そして柄谷は、本作末びでカントとマルクスを批判しつつ、国家という暴力装置をアウフヘーベンした、アソシエーションを提唱するのである。その発見がのちの作品原点となっているのだ。

 

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