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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

       いくら君のこころととのう日記
読書について 2024年4月14日

西研「カント純粋理性批判」100分で名著

 長く、柄谷行人の著書に関わっている。順番としては、あまりよくないのだが、『世界史の構造』『力と交換様式』そして、それらの原点でもある『トランスクリティーク カントとマルクス』と進んでいる(途中、関連文献や関連書に手を出したが)。この本は一部で「カント」を扱い、二部で「マルクス」を取り上げている。数日前、一部つまりカントの項を読了した。難しい内容であった。とてもカントを分かった(そんな日が来るかわからないが)と言える状態ではなかった。用語の難しさがある。それを辞書で引き確認してもどうにもしっくりこない。このまま「マルクス」に行ってもダメだと思い、「カント」『純粋理性批判』の入門書にあたり、ざっくりと全体像を掴むべきだと判断した。まず最初に手にしたものは、竹田青嗣『完全解読カント『純粋理性批判』』である。前書きからパラパラ見ていると、これも相当に難解そうである。もっと超入門書的なものははないか。そこで出会ったのが、難解な哲学を優しいく解説する手腕に優れた西研のNHK100分de名著「カント純粋理性批判」である。

 通読した結果、カントがこの本で言おうとしたことの概略が掴めたような気がする。当初「認識」という言葉がやはり掴めずにいた(この言葉は三島由紀夫の所作品、特に『金閣寺』における柏木の認識、また『豊饒の梅』の副主人公たる「本多繁邦」の認識論、そして彼の惨めな終末、などの考察に必須の考え方である)。

 どうにか西研の導きで「人間は何をどのように認識しているのか、その時理性はどのように働くのか」という「認識論」の第一歩を理解した。カントの問題意識は人間が認識できる世界(現象界」と認識できない世界(物自体・叡智界)を区別し整理したこと、さらによく生きるための自由や道徳に対する考察などであることをある程度理解した。

 今後また、柄谷行人『トランスクリティーク』第二部に戻り、マルクスの箇所を読んだ上で、『資本論』第一部に手をつけたいと思っている。また、そのうち「カントに」戻ってくると思う。

創作について 2024年4月1日

エイプリルフール

今日は4月1日。年度の始まりである。スカイスパは若者が少なかった。新しい年度で忙しいのだろう。

 今日が4月1日ということは,昨日は3月31日である。さまざまな文芸雑誌が新人賞の作品を募集するが,3月31日〆切というものがいくつかある。

 昨年度62歳で仕事を完全に辞め,6月に100枚程度の中編を書いた。7月に芥研のみんなにzoomでご批評いただいた。なかなか好評であった。調子に乗ったいくら君は9月10月2ヶ月かけて,300枚程度の長編を書いた。1ヶ月かけて推敲し,芥研のみんなに読んでもらい,1月14日にズーム会議で批評をいただいた。

 散々な評価だった。久しぶりに精神的にダメージを受けた。もうこの世から消えたいと思った。友人とか信頼とかいった言葉も全て崩壊した感じであった。それから2週間ほど辛い時間が続いた。畑で鍬を振ることで少しは紛らわせたが,それでも人間不信というか自己嫌悪というか,とにかく思考が全てネガティブに向かう日々が続いた。

 研究会の後数日は推敲に時間をかけたが,すぐバカらしくなった。もう何もかもやめようと思った。こんなものは捨ててしまおうという気持ちと,いやいや手直しして少しでもマトモなものになるまで頑張ろうという二項が自分中で攻めギ合い,結局放置した。この苦しみから逃れようと一時的に逃げた。 3月になった。やる気が起きない。誕生日が過ぎたが,やはり放置したままだった。雨が多く,天候不良で桜の開花も例年になく遅い。

 3月28日になった。時間がない。やろう!

 久しぶりにWordを立ち上げ全編を読み直し,最初のシーンを簡潔に書き換えた。読んでいてダルいところはバンバン切った。で,完成とした。270枚であった。

 「新潮」に応募しようずっと考えていた。とりあえずできたので,応募要項を確認してみた。あらら。250枚までだって! しまった。あと20枚削れないかしらと見直そうとしたが,もう面倒くさい。調べると「すばる」がやはり3月31日〆切であり400枚までOKであることを発見。でも「すばる」はエンターテイメント性が高くなきゃダメだろうと思った(集英社だし)。でももうなんでもいいや!参加することにも意義があるだろう!

 ということで,8ヶ月煩悶し続けた文章の群れにお別れをいたしたのでした。

 結果はどうせダメなのだろうが,引きずっていたなにものから解放された感じです。

 お疲れ様でした。

 

 

 

読書について 2024年4月1日

中島義道『カントの人間学』読了

 イマニエル・カントと言えば、言わずと知れた18世紀プロイセンの大哲学者で『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三大批判書を発表し、認識論におけるコペルニクス的転回をもたらした人物と知られている。しかし、私を含め多くの人間がその著書名を知りながらも、あまりに難解なためなかなか読み通せていないというのが現状ではないか?

 著者、中島義道はカント研究者であり、軽妙かつシニカルな文章が魅力の哲学者である。カントに『人間学』という著書がある(ちなみに岩波文庫にかつてあったが現在は絶版で、Amazonでは古書で9700円の値がついていた)。それの解説書かと思って本書を開いた。でも、どうやら違うらしい。カントが考える人間についての書であり、カントという人間の書でもある。

 あとがきにある。「本書はカントを「モラリスト」として読み解く試みであるが」モラリストの概念は幅広く難しい。そこで著者の定義は「モラリストは人間の多様性を信じていると同時に、人間が複雑極まりなく、矛盾だらけであるという(歴史・文化・階級を超えた)普遍性を信じている。」とする。モラリストの要件とは「あくまでも関心の中心は「人間」であり、しかも人間集団ではなく個々の人間である。崇高かつ卑猥で、勇気に満ちかつ臆病で、聡明かつ愚劣で、冷酷かつ情愛ある個々人の姿をそのまま映し出すことが関心の中心である」ということになる。

 本書は、我々人間が悩み陥り苦悩する問題(エゴイスト・親切・友情・虚栄心)などについて、カントの箴言やカントの周りにいた人間の言葉を引用しながら、問題を追求しつつカントの人となりを浮かび上がらせる。

 カントのイメージは、峻厳・厳格・自己抑制的など厳しいものであるが、筆者は「私は意図的に旧来のカント像の破壊を狙った」のである。人間らしく滑稽で名誉欲に満ちた人間カントを親しみある存在として描く、ある種のカント入門書である。

読書について 2024年3月27日

柄谷行人『哲学の起源』読了

 柄谷はいう。「『世界史の構造』は、世界構成体の歴史を「交換様式」から見る企てである。それは社会構成体の歴史を経済的土台から見たマルクスを受け継ぐものである」と。そして、『世界史の構造』でギリシアの時代に向き合った際、さまざまな研究をし思考を深めた。もちろん、彼ならではの新しい発見も豊富にあった。しかし、それを盛り込んでは『世界史の構造』の焦点がぼやけ破綻してしまう可能性がある。そこで断念していた考察を『世界史の構造』発表の2年度(2012)に、『哲学の起源』として新たにギリシャ哲学の発祥を中心に深掘りしたものが本作である。

 一般的にアテネはデモクラシーの起源であり、ソクラテスープラトンの系列が哲学の始祖である、といった理解されている。が、柄谷はその一般論に疑義を申し立てる。アテネはデモクラシーであったが、そこには奴隷制度があり、外国人はアテネ市民になれない。市民は政治活動で忙しく、労働を軽蔑している。それは奴隷がやることだ。デモクラシーとは所詮クラシー(支配)なのだ、という具合に。

 そのアテネに対立する形で彼が担ぎ出すのが、エーゲ海を挟んでギリシア対岸にイオニアだ(現在はトルコ西部)。イオニアにこそ、哲学の起源があり、また柄谷のいう交換様式Dが存在していた。それをイソノミアという。イオニアは真に自由で平等な国であった。彼らは植民である。つまり、氏族社会的な縛りから自由である。みな自分の土地を持ち労働し身分差もなく自由である。王は存在しない。合議制である。そのDの世界はまもなく、他国に侵略され崩壊するのであるが、イオニアの自然哲学の流れを持った人々がアテネや他のポリスで活躍する。その代表者がソクラテスである。ソクラテスはアテネ市民である。しかし政治に関与しない。それはダイモン(心の声)により、政治に参加してはならぬという命を守り、そして広場で誰かれなく語りかける。彼は何も教えない。ただ対話によって、相手の主張の矛盾をつき、その彼が自ら真実に気づくのを待つ(産婆法)。しかし、ソクラテスは民主派から訴えられ毒杯を仰いで死ぬ。著作は何もない。ソクラテスが目指した世界はイソノミア(無支配)であった。僭主を作らせないことである。しかし、弟子のプラトンが目指すものは哲人王(つまり哲学者が王になるか、王が哲学者になるか。いずれにせよ哲学者が国家を導くシステム)である。師匠と弟子では目指しす方向が丸切り逆である。しかし、プラトンはソクラテスの名をかり自身の哲学を著作として残す。

 世間一般に流布する誤解を解こうといういう試みだと考えても良いかも知れぬ。

読書について 2024年3月22日

柄谷行人『「世界史の構造」を読む』読了

 先日、読了した『世界史の構造』は、柄谷行人による、ある意味で人類の未来への預言書である。その預言(筆者の考察)を我々凡庸な読者に理解させるためには、徹底的に人類の歴史について丁寧に細やかに説明必要があった。もちろん柄谷氏が注目した「交換様式」という概念を軸にして。そして、生まれたのが『世界史の構造』という、氏にしては珍しく、網羅的かつ構造的な大著である。

 おそらく、あまりに刺激的な名著であるため、世界中から反響があったであろうし、また、筆者としては一つの軸を中心にブレなく一冊の書物にまとめる必要に迫られ、多くの派生的な考えを削ることにならざるを得なかった。『世界史の構造』発表後、2011.3.11東日本大震災・福島第一原発事故が起こり、新たな考えを持つとともに、削除された問題を語りたい(書きたい)という欲望が抑えられなくなった。その結果、新たに150枚の論文を書き、多方面の識者との数多くの対談をまとめ、上梓されたのが、本書『「世界史の構造」を読む』である。

 対談の相手は、政治学者・小説家・元外交官・宗教学者など多岐に渡り、多くの識者が『世界史の構造』に示唆を受けたことを述べた上で、新たに質問をし持論を展開する、さらにそれに対する柄谷氏の解答・現在における考察を述べる。

 巧妙な搾取システムである資本主義が限界を迎えつつある現在で、もうすでに第三世界(植民地化する場所・搾取する国)を失いつつある帝国が僅かなる差異を求める結果、世界戦争が訪れる。そして、その後に何が起こるか。それはB(略取と再分配)やC(商品交換)によって抑圧されていたA(互酬)が回帰するの交換様式Dの世界(「カント」の「世界共和国」)が訪れるといいうのだ。そのために、日本ができることは9条を実行すること、つまり国連に軍事力を移管することである、と。

 自由=遊動民的=誰からの支配もない☞コミュニズム的アソシエーションの到来。

サウナについて 2024年3月18日

若者三人組

 

 本日,久しぶりにスカイスパにきた。約一月振りである。私にとって「スカイスパ」は特別な癒しの空間である。趣味である畑仕事は,楽しいのだが,とても忙しく,苗の成長や水遣りなど,気が休まる暇がない。さらに体への負担もある。とても忙しい日々を送っている。本も読まなくてはならない。読めば読むほど,読むべき本が増える。(その割にしょっちゅう旅行へ行っているようだが)。

 そのように煮詰まった時,いくら君はスカイスパを訪れ,癒される。

 しかし,今日は違った。私が入浴してしばらくし若者三人組が入湯してきた。三人で寝湯に横たわり大きな声で話をしている。私はこの空間で自分を見つめ,自分と語り,何事かを思考する(もちろん大したことを考えるわけではないが)。

 私の脳はこう考えている。煩いなあ。誰か注意しないかなぁ。こう考えるのは人間として小さいからなのか? 年齢か? 男性更年期障害か? などと考えたくもないのに,勝手に脳が暴走する。と,不愉快だし,疲れる

  彼等は揃って大風呂へ向かった。まだ,話し続けている。垢すりのお姉さんに私の番号が呼ばれる。垢すり室に入り,施術していただく。彼等は話をしている。彼等はここへ何しにきたのか?サウナに入らないで喋っている

 私の施術行われている30分,ずっと彼等の喋り声が聞こえている。垢すりが終わった。彼等はずーっとしゃべっている。

 私は掛け湯をし小さい方のサウナに逃げた。彼等の話し声が遠くに聞こえる。10分経った。私はサウナを出る。彼等はいない。大きなサウナに入ったのか?しばらくしたら,ぎゃーぎゃー言いながら,出てきて騒いでいる。私はすぐに大きなサウナに避難する。しばらくして,あっ,はい。はい。わかりましたすみません。という声と共に2時間ぶりの静寂が戻った。

 私の脳は,怒りと不愉快さ,さらにこうなってしまう自分への嫌悪でゆったりとした気持ちになれない。

 さっさと出て,館内着に着替え,食事所へ向かった。食事所で注文を終えると彼等の声が奥の席から聞こえてきた。

絶望した。😭

読書について 2024年3月13日

水谷千秋『教養の人類史』読了

 現在、芥研で、柄谷行人『力と交換様式』の読解を進めている。柄谷は、マルクスが「生産様式」を柱に組み立てた理論『資本論』一巻に対し、「交換様式」(物々交換・お金と商品の交換、等々)という概念を柱に、世界の賢者たちの、つまり「巨人の肩に乗り」ながらも自らの考えを理論化・体系化している。それが『世界史の構造』であり『力と交換様式』という形で結実した。その知的で示唆的でありつつも、難解な作品を少しづつ読み解こうとしているのだが、何か参考になるのではないかと、前回はハラリ『サピエンス全史』を読み、その流れで本作を手に取った次第である。

 本作で、著者も語っているが、今を生きる我々は恐らくさまざまな意味において、地球のあるいは人類の危機として、現代を捉えていると思う。そこで、知の巨人たちは「知の総合化」「知の全体像の構築」を模索し表現したいという欲望に取り憑かれているように思う。

 柄谷にせよ、ハラリにせよ、ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』)にせよ、そういった欲望(使命?)を形にしたいと考えているようだ。本作の著者も同様である。

 しかし本作は教養の人類史』であり、帯には「学生向けの名物講義を新書化!)とある。著者は「いくら君」のに学年下の短大の先生である(さらに専門は日本古代史とある)。よって、どの本でもある程度パターンは同じなのだが、人類の進化・認知革命・哲学・宗教・西欧の世界制覇・産業革命から現代、について書かれることが多い。「いくら君」は最初に、柄谷行人の著作を読んでいるので、他のものがどうも精密さに欠ける印象を持ってしまう。そんなわけで、まあ、気楽位に(少し馬鹿にしながら(水谷さんごめんなさい)、頁を繰り始めたのである。当然筆者の専門外である項目に対しては、引用、引用、まとめ、といった感じで、過去の巨人の思想から一歩も外に出ることなく、粗雑に人類史をなぞっていくのである。ああ、短大生相手の講義が元なので、まあこんなものか、という思いであった(この文言には短大に対する差別的な意識が垣間見え嫌である)。途中、中世日本史の項では俄然筆者の筆は冴えるのであるが、本作のタイトルからは逸脱気味で、鼻白まないわけでもなかった。

 第7章「現代史との対話ーー明治維新と戦後日本」は明治維新から配線までが75年。さらに昭和20年からコロナ危機(2022)までが75年と指摘し、それぞれの75年を半分にあるいは4分の1にわけ分析する視点は、これもどこからか借りてきたものかもしれないが切り口鋭く面白かった。

 第6章までは「巨人の肩に乗って」いるだけであったが、7章以降は筆者独自の見解が丁寧にしかも自由に語られ興味深い。新自由主義導入以降(レーガン、サッチャー、村山富市)の世界は貧富の差が歴然とし分断が広がってをり、世界は不安定な状態に置かれている。大多数の国の民は不満で爆発しそうであろう(いや、実際に爆発している国もたくさん存在する)。労働価値に数字で換算する社会、あるいは人間の尊厳を踏みにじる世界。その中で、柄谷のいうDのような世界を、斉藤幸平「コモンズ」の概念で説明する。つまり「コモン」(水や電力。住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主的・水平的に共同管理に参加す」し「最終的にはコモンの療育を広げていく」ことを語ると筆者は紹介する。未来は構築するのは我々自身であり、他者(国、役人?)に任せてのではなく、我々が参加することで良き未来が到来することを示唆する。そして、それを可能にするのは「教養」である、と、筆者は教育者らしくまとめるのである。

 本文章にも書いたが、歳者は少し軽く見ていたが、後半は学者というより教育者の実体験から生まれた危機感とそれに基づく漲る気合に圧倒された。「ペスト」の要約では涙しそうに感動した。本作は、彼が小さな専門の井戸に閉じこもることなく、自由に教育者として現代の若者に伝えたいことを書いた、という意味において「短大」の教師でなければできなかった仕事かもしれないと思い直した。

 よかった。ありがとうございました。

読書について 2024年3月8日

ハラリ『サピエンス全史』読了3/4

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  • 3月4日ユヴァル・ノア・ハラミ『サピエンス全史』読了。3月9日(土)14:00〜「芥研」の研究会がある。今回のテーマは柄谷行人『力と交換様式』で報告者は清水くんである。氏は、若い頃より現代哲学に親しみ造詣も深い。さらに、柄谷行人の諸作を40年にわたり継続的に読んでいる。よって、かなりの発表になることが予想された。「いくら君」としてもいい加減な気持ちでは望めない。しっかりした準備をしてその会に望みたいと考えている。よって、柄谷氏の『世界史の構造』『力と交換様式』を読み、その他いくつかの柄谷作品に当たった。そこで何かの参考になるか?と、その程度の動機で、本作『サピエンス全史』を手に取った。発表時、世界的にもかなり話題になりなは知っていたし、いつかは読もうとも思っていた。そして、最近文庫本になったので、早速購入し、上記の理由で読み始めた。そのため、どうしても柄谷の『世界史の構造』および『力と交換様式』と比較してしまいがちで、最初は文章の質やアメリカ的な比喩への違和感、またキーワードの定義の曖昧さなどにより、つい「雑だなあ。これは論文ではないな。おもしろ人類史か、などと一人批判的なツッコミを入れながら読んでいたのだが、下の最終章は著者の独特な歴史観が全開に展開されかなり引き込まれた。
  • まあ、いい本の部類には入ると思う。しかし、柄谷の誠実さ、丁寧さにやはり軍配があがる。まあ、比較するものではないのだが。
サウナについて 2024年3月8日

サ旅初の海外遠征

 昨年3月のサウナ合宿は初の九州上陸で、湯ラックス(熊本)・ウエルビー福岡(福岡)・御船山公園楽園ホテルらかんの湯(佐賀)・サウナサン(長崎)とレンタカーを駆使した旅でしたが、今年はとうとう海外遠征を決行しました! 相棒は息子のお嫁ちゃんが韓国人だという関係もあり、彼は大の韓国通で、ハングルも読め、少しは会話もできます。で、相棒のリードの元、韓国のサウナ(チムジルバン)を2件にお邪魔してきました。

 チムジルバンとは韓国の総合的な温浴施設の名称で、内容はとしては、サウナ+お風呂+水風呂+岩盤浴(床暖房)+αといったところです。相棒が安い飛行機を探していると静岡ー仁川(インチョン)国際空港の発着便を発見しました。そこで、彼の悪巧みが稲妻のように出来上がったのです。それは、まずは「サウナしきじ」から。ご存知の通り、「サウナしきじ」は静岡市にあるの日本有数の温浴施設で、サウナー界隈では「東の聖地」とも言われています。(西の聖地は「湯ラックス」(熊本))。飛行便は夕方発。それでは日本一の「しきじ」へ入って景気付けをし、ソウルに向かうことになりました。

 「しきじ」の話は割愛します。

 静岡空港で夕食をとり、18:50発で、約2時間のフライトです。天候が思わしくなく、雲を突っ切る際はかなり揺れました。それはともかく、9時過ぎに無事到着。しかし流石のアジアのハブ空港です。入国審査まで1時間半もかかりました。10時45過ぎソウル方面行きの高速鉄道に乗車し約一時間揺られ、さらに地下鉄に乗り換え12時過ぎに往十里(ワンシンリ)駅から徒歩5分のチムジルバン、「シェルビルサウナ」に到着しました。商業施設ビルの地下一階に広大な空間が広がっています。軽く入浴し、軽くサウナに入り、寝ました。

 翌日は床暖房の部屋でゴロゴロしたり、館内着のままで入る男女共用のサウナに入りました。炭窯あり冷凍あり五種類かな、とにかく様々な中で蒸されました。

 9時半ごろ出発。その日は観光および、ビジネスホテル泊まりなので大した報告はありませんが、一つだけ。今回のツアーの裏テーマが「ディープな韓国」でもあったため、夕食&飲みは仁寺洞(インサンドン)の焼く肉通りにある地元感あふれる屋外の焼肉屋です(残念ながら店名を失念しました)。

 わけもわからず、あれやこれやと肉を注文すると、まだ時間が早いため暇なご主人が、焼き加減から、カットから、食べ方まであれこれ実演でレクチャーしてくれました。ほうほう、なるほど、こうやって食べても美味しいし、ああやって食べても美味しい、という様々なバリエーションの世界です。タレはレモン汁にニラと玉ねぎが入った冷たいもの。あと、三種類の塩。さらにコチュジャンとニンニク。さらにそれをキムチあるいはよくわからない漬物を添えてサンチェで巻いて食べる等々。それはそれは、地元の米焼酎も吸い込みが良く、楽しいソウルの夜でした。

 翌朝は、地下鉄「新村(シンチョン)駅からバスで、「森の中漢方サウナ」(スプノク漢方ランド)です。ここは、すごかった。本当にすごかった! 3階にあるお風呂およびサウナはまあ普通です。しかし、しかし一階にある床暖房からさらに下へ降りるとプーンと焼き芋のいい匂いがしてきます。おやすみどころの前にドラム缶を半分に切った炉がありそこで皆焼き芋を焼いているのです。そして目の前には三種類の炭窯が鎮座していました。最高温・高温・中温です。最高音の世界は150度くらいなのでしょうか?みなさん分厚い靴下を履きさらに下駄を履いています。さらに館内着の上に大きな毛布のような厚手のタオルを何重にも巻いて頭からすっぽりかぶっています。すごい世界です。私は寡聞にてこの世界の常識を知らず、靴下も、熱予防の巻物もなく、徒手空拳突入してみたのですが、1分も経たずに敗北しました。戻ると売店で買ったアルミホイルに巻かれた焼き芋がいい香りをかもしています。次は2段階目の暑さ高温スペースへ。こちらは床板がありますが、館内着で腰を下ろすとSiriは熱いし、足も暑い。やはり数本のタオルが必要です。こちらは、二、三分で退散しました。部屋を出る時、床板が熱く飛び跳ねながら出ました。焼き芋を食べながらしばし休憩。低温は、まあ普通のサウナという感じで、たまたまた人がいなかったため横になってみました。いい感じです。その3種の窯を出たり入ったりしているうちに、すでに二時間経過しておりました。ああやばい、と、そそくさと「森の中漢方サウナ」を後にしたのでした。

 明洞(ミョンドン)お買い物をし、空港で遅い昼食を済ませ、無事帰ってきた次第です。やはり、寒いところの温浴施設の文化は素晴らしいものがります。夢はフィンランドの森のサウナですが、叶うことがあるのでしょうか? その前に旅行に耐える体力がなくなってしまうかもしれません。どうしたものやら。

 とにかく今回のツアーも充実していました。相棒さん、どうもありがとう。

サウナについて 2024年2月21日

京都サウナツアー

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024.2.15〜16京都サウナツアー

 12月25日にいく予定だった、京都サウナツアーですが、遠井ちゃんの体調悪化により中止されました。今回は、そのリベンジです。京都祇園にある「ルーマプラザ」が半年もの休業を経てリニューアルオープンする。これは行かなくてはいかないではないか! これがことの発端です。ビルの6階にサウナがあり、さらに階段を登ると、そこは京都の街を見下ろすことのできる、快適屋外空間です。前回は夜、星空を見ることができました。その素晴らしい施設がリニューアルされた。もういくしかないでしょう!。

 朝6時遠井ちゃん宅集合。出発。朝焼けが綺麗な始まりでした。富士山はくっきり見えるものの,傘雲がかかっている。天気下り模様の予感。静岡SAにて、静岡おでんとおにぎり。

まず目指すは,昭和ストロングスタイル,おもてなしの極地,「大垣サウナ」へ。11時のオープンとともに突入。100度オーバーのサウナと15度の水風呂で久しぶりに甘味が出た!

昼食をとり,さあ次は京都だ。祇園だ。「ルーマプラザ」へ。こちらは半年ほどかけてのリニーアル工事を経て,昨年の12月に再オープン。とても清潔で素晴らしい施設に変貌しておりました。サウナは,大箱とフィンランドあと塩サウナと施設はさらに充実しています。風呂も新たに屋上ののさらに上に炭酸泉が導入され,水風呂もさまざまな温度で3種類。カプセルも新品で気持ち良い。さらに朝食バイキングが無料! にもかかわらず利用料は値上げせず,太っ腹。祇園で一泊4700円はありえない値段設定です。

 18時より先斗町へ繰り出す。雨空ではあるがなかなかの人手。やはりインバウンド強し。いい雰囲気も路地数多あり。居酒屋,粉物,バーと3軒梯子して帰宅。9時40分消灯。

4時半起床。5時半よりお風呂へ。まずは大箱で汗を流す。6時に屋上階が開くと同時に,フィンランドを2発。真っ暗な闇が少しづつ,白んでくるのでした。京都の街は今日も曇りなのでした。朝食後9時出発。あれこれ悩んだ末に、名古屋「ウェルビー今池」に決定。いつも通り、キリンさんが迎えてくれました。11時きっかりに突入しました。しかし、ヒトカゲはまばらな上、なんとなくサウナに力がないのです。かんかぬるいというか。いつもと違うなあ、と少し落胆模様でした。

 帰りは徐々に天気が回復し、新東名から微妙な富士山も拝むことができました。ありがとうございました。次回は、遠い企画「韓国サウナツアー」です。乞うご期待!

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