柄谷行人『「世界史の構造」を読む』読了
先日、読了した『世界史の構造』は、柄谷行人による、ある意味で人類の未来への預言書である。その預言(筆者の考察)を我々凡庸な読者に理解させるためには、徹底的に人類の歴史について丁寧に細やかに説明必要があった。もちろん柄谷氏が注目した「交換様式」という概念を軸にして。そして、生まれたのが『世界史の構造』という、氏にしては珍しく、網羅的かつ構造的な大著である。
おそらく、あまりに刺激的な名著であるため、世界中から反響があったであろうし、また、筆者としては一つの軸を中心にブレなく一冊の書物にまとめる必要に迫られ、多くの派生的な考えを削ることにならざるを得なかった。『世界史の構造』発表後、2011.3.11東日本大震災・福島第一原発事故が起こり、新たな考えを持つとともに、削除された問題を語りたい(書きたい)という欲望が抑えられなくなった。その結果、新たに150枚の論文を書き、多方面の識者との数多くの対談をまとめ、上梓されたのが、本書『「世界史の構造」を読む』である。
対談の相手は、政治学者・小説家・元外交官・宗教学者など多岐に渡り、多くの識者が『世界史の構造』に示唆を受けたことを述べた上で、新たに質問をし持論を展開する、さらにそれに対する柄谷氏の解答・現在における考察を述べる。
巧妙な搾取システムである資本主義が限界を迎えつつある現在で、もうすでに第三世界(植民地化する場所・搾取する国)を失いつつある帝国が僅かなる差異を求める結果、世界戦争が訪れる。そして、その後に何が起こるか。それはB(略取と再分配)やC(商品交換)によって抑圧されていたA(互酬)が回帰するの交換様式Dの世界(「カント」の「世界共和国」)が訪れるといいうのだ。そのために、日本ができることは9条を実行すること、つまり国連に軍事力を移管することである、と。
自由=遊動民的=誰からの支配もない☞コミュニズム的アソシエーションの到来。
若者三人組
本日,久しぶりにスカイスパにきた。約一月振りである。私にとって「スカイスパ」は特別な癒しの空間である。趣味である畑仕事は,楽しいのだが,とても忙しく,苗の成長や水遣りなど,気が休まる暇がない。さらに体への負担もある。とても忙しい日々を送っている。本も読まなくてはならない。読めば読むほど,読むべき本が増える。(その割にしょっちゅう旅行へ行っているようだが)。
そのように煮詰まった時,いくら君はスカイスパを訪れ,癒される。
しかし,今日は違った。私が入浴してしばらくし若者三人組が入湯してきた。三人で寝湯に横たわり大きな声で話をしている。私はこの空間で自分を見つめ,自分と語り,何事かを思考する(もちろん大したことを考えるわけではないが)。
私の脳はこう考えている。煩いなあ。誰か注意しないかなぁ。こう考えるのは人間として小さいからなのか? 年齢か? 男性更年期障害か? などと考えたくもないのに,勝手に脳が暴走する。と,不愉快だし,疲れる。
彼等は揃って大風呂へ向かった。まだ,話し続けている。垢すりのお姉さんに私の番号が呼ばれる。垢すり室に入り,施術していただく。彼等は話をしている。彼等はここへ何しにきたのか?サウナに入らないで喋っている。
私の施術行われている30分,ずっと彼等の喋り声が聞こえている。垢すりが終わった。彼等はずーっとしゃべっている。
私は掛け湯をし小さい方のサウナに逃げた。彼等の話し声が遠くに聞こえる。10分経った。私はサウナを出る。彼等はいない。大きなサウナに入ったのか?しばらくしたら,ぎゃーぎゃー言いながら,出てきて騒いでいる。私はすぐに大きなサウナに避難する。しばらくして,あっ,はい。はい。わかりましたすみません。という声と共に2時間ぶりの静寂が戻った。
私の脳は,怒りと不愉快さ,さらにこうなってしまう自分への嫌悪でゆったりとした気持ちになれない。
さっさと出て,館内着に着替え,食事所へ向かった。食事所で注文を終えると彼等の声が奥の席から聞こえてきた。
絶望した。😭
水谷千秋『教養の人類史』読了
現在、芥研で、柄谷行人『力と交換様式』の読解を進めている。柄谷は、マルクスが「生産様式」を柱に組み立てた理論『資本論』一巻に対し、「交換様式」(物々交換・お金と商品の交換、等々)という概念を柱に、世界の賢者たちの、つまり「巨人の肩に乗り」ながらも自らの考えを理論化・体系化している。それが『世界史の構造』であり『力と交換様式』という形で結実した。その知的で示唆的でありつつも、難解な作品を少しづつ読み解こうとしているのだが、何か参考になるのではないかと、前回はハラリ『サピエンス全史』を読み、その流れで本作を手に取った次第である。
本作で、著者も語っているが、今を生きる我々は恐らくさまざまな意味において、地球のあるいは人類の危機として、現代を捉えていると思う。そこで、知の巨人たちは「知の総合化」「知の全体像の構築」を模索し表現したいという欲望に取り憑かれているように思う。
柄谷にせよ、ハラリにせよ、ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』)にせよ、そういった欲望(使命?)を形にしたいと考えているようだ。本作の著者も同様である。
しかし本作は『教養の人類史』であり、帯には「学生向けの名物講義を新書化!)とある。著者は「いくら君」のに学年下の短大の先生である(さらに専門は日本古代史とある)。よって、どの本でもある程度パターンは同じなのだが、人類の進化・認知革命・哲学・宗教・西欧の世界制覇・産業革命から現代、について書かれることが多い。「いくら君」は最初に、柄谷行人の著作を読んでいるので、他のものがどうも精密さに欠ける印象を持ってしまう。そんなわけで、まあ、気楽位に(少し馬鹿にしながら(水谷さんごめんなさい)、頁を繰り始めたのである。当然筆者の専門外である項目に対しては、引用、引用、まとめ、といった感じで、過去の巨人の思想から一歩も外に出ることなく、粗雑に人類史をなぞっていくのである。ああ、短大生相手の講義が元なので、まあこんなものか、という思いであった(この文言には短大に対する差別的な意識が垣間見え嫌である)。途中、中世日本史の項では俄然筆者の筆は冴えるのであるが、本作のタイトルからは逸脱気味で、鼻白まないわけでもなかった。
第7章「現代史との対話ーー明治維新と戦後日本」は明治維新から配線までが75年。さらに昭和20年からコロナ危機(2022)までが75年と指摘し、それぞれの75年を半分にあるいは4分の1にわけ分析する視点は、これもどこからか借りてきたものかもしれないが切り口鋭く面白かった。
第6章までは「巨人の肩に乗って」いるだけであったが、7章以降は筆者独自の見解が丁寧にしかも自由に語られ興味深い。新自由主義導入以降(レーガン、サッチャー、村山富市)の世界は貧富の差が歴然とし分断が広がってをり、世界は不安定な状態に置かれている。大多数の国の民は不満で爆発しそうであろう(いや、実際に爆発している国もたくさん存在する)。労働価値に数字で換算する社会、あるいは人間の尊厳を踏みにじる世界。その中で、柄谷のいうDのような世界を、斉藤幸平は「コモンズ」の概念で説明する。つまり「コモン」(水や電力。住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主的・水平的に共同管理に参加す」し「最終的にはコモンの療育を広げていく」ことを語ると筆者は紹介する。未来は構築するのは我々自身であり、他者(国、役人?)に任せてのではなく、我々が参加することで良き未来が到来することを示唆する。そして、それを可能にするのは「教養」である、と、筆者は教育者らしくまとめるのである。
本文章にも書いたが、歳者は少し軽く見ていたが、後半は学者というより教育者の実体験から生まれた危機感とそれに基づく漲る気合に圧倒された。「ペスト」の要約では涙しそうに感動した。本作は、彼が小さな専門の井戸に閉じこもることなく、自由に教育者として現代の若者に伝えたいことを書いた、という意味において「短大」の教師でなければできなかった仕事かもしれないと思い直した。
よかった。ありがとうございました。
ハラリ『サピエンス全史』読了3/4
- 3月4日ユヴァル・ノア・ハラミ『サピエンス全史』読了。3月9日(土)14:00〜「芥研」の研究会がある。今回のテーマは柄谷行人『力と交換様式』で報告者は清水くんである。氏は、若い頃より現代哲学に親しみ造詣も深い。さらに、柄谷行人の諸作を40年にわたり継続的に読んでいる。よって、かなりの発表になることが予想された。「いくら君」としてもいい加減な気持ちでは望めない。しっかりした準備をしてその会に望みたいと考えている。よって、柄谷氏の『世界史の構造』『力と交換様式』を読み、その他いくつかの柄谷作品に当たった。そこで何かの参考になるか?と、その程度の動機で、本作『サピエンス全史』を手に取った。発表時、世界的にもかなり話題になりなは知っていたし、いつかは読もうとも思っていた。そして、最近文庫本になったので、早速購入し、上記の理由で読み始めた。そのため、どうしても柄谷の『世界史の構造』および『力と交換様式』と比較してしまいがちで、最初は文章の質やアメリカ的な比喩への違和感、またキーワードの定義の曖昧さなどにより、つい「雑だなあ。これは論文ではないな。おもしろ人類史か、などと一人批判的なツッコミを入れながら読んでいたのだが、下の最終章は著者の独特な歴史観が全開に展開されかなり引き込まれた。
- まあ、いい本の部類には入ると思う。しかし、柄谷の誠実さ、丁寧さにやはり軍配があがる。まあ、比較するものではないのだが。
サ旅初の海外遠征
昨年3月のサウナ合宿は初の九州上陸で、湯ラックス(熊本)・ウエルビー福岡(福岡)・御船山公園楽園ホテルらかんの湯(佐賀)・サウナサン(長崎)とレンタカーを駆使した旅でしたが、今年はとうとう海外遠征を決行しました! 相棒は息子のお嫁ちゃんが韓国人だという関係もあり、彼は大の韓国通で、ハングルも読め、少しは会話もできます。で、相棒のリードの元、韓国のサウナ(チムジルバン)を2件にお邪魔してきました。
チムジルバンとは韓国の総合的な温浴施設の名称で、内容はとしては、サウナ+お風呂+水風呂+岩盤浴(床暖房)+αといったところです。相棒が安い飛行機を探していると静岡ー仁川(インチョン)国際空港の発着便を発見しました。そこで、彼の悪巧みが稲妻のように出来上がったのです。それは、まずは「サウナしきじ」から。ご存知の通り、「サウナしきじ」は静岡市にあるの日本有数の温浴施設で、サウナー界隈では「東の聖地」とも言われています。(西の聖地は「湯ラックス」(熊本))。飛行便は夕方発。それでは日本一の「しきじ」へ入って景気付けをし、ソウルに向かうことになりました。
「しきじ」の話は割愛します。
静岡空港で夕食をとり、18:50発で、約2時間のフライトです。天候が思わしくなく、雲を突っ切る際はかなり揺れました。それはともかく、9時過ぎに無事到着。しかし流石のアジアのハブ空港です。入国審査まで1時間半もかかりました。10時45過ぎソウル方面行きの高速鉄道に乗車し約一時間揺られ、さらに地下鉄に乗り換え12時過ぎに往十里(ワンシンリ)駅から徒歩5分のチムジルバン、「シェルビルサウナ」に到着しました。商業施設ビルの地下一階に広大な空間が広がっています。軽く入浴し、軽くサウナに入り、寝ました。
翌日は床暖房の部屋でゴロゴロしたり、館内着のままで入る男女共用のサウナに入りました。炭窯あり冷凍あり五種類かな、とにかく様々な中で蒸されました。
9時半ごろ出発。その日は観光および、ビジネスホテル泊まりなので大した報告はありませんが、一つだけ。今回のツアーの裏テーマが「ディープな韓国」でもあったため、夕食&飲みは仁寺洞(インサンドン)の焼く肉通りにある地元感あふれる屋外の焼肉屋です(残念ながら店名を失念しました)。
わけもわからず、あれやこれやと肉を注文すると、まだ時間が早いため暇なご主人が、焼き加減から、カットから、食べ方まであれこれ実演でレクチャーしてくれました。ほうほう、なるほど、こうやって食べても美味しいし、ああやって食べても美味しい、という様々なバリエーションの世界です。タレはレモン汁にニラと玉ねぎが入った冷たいもの。あと、三種類の塩。さらにコチュジャンとニンニク。さらにそれをキムチあるいはよくわからない漬物を添えてサンチェで巻いて食べる等々。それはそれは、地元の米焼酎も吸い込みが良く、楽しいソウルの夜でした。
翌朝は、地下鉄「新村(シンチョン)駅からバスで、「森の中漢方サウナ」(スプノク漢方ランド)です。ここは、すごかった。本当にすごかった! 3階にあるお風呂およびサウナはまあ普通です。しかし、しかし一階にある床暖房からさらに下へ降りるとプーンと焼き芋のいい匂いがしてきます。おやすみどころの前にドラム缶を半分に切った炉がありそこで皆焼き芋を焼いているのです。そして目の前には三種類の炭窯が鎮座していました。最高温・高温・中温です。最高音の世界は150度くらいなのでしょうか?みなさん分厚い靴下を履きさらに下駄を履いています。さらに館内着の上に大きな毛布のような厚手のタオルを何重にも巻いて頭からすっぽりかぶっています。すごい世界です。私は寡聞にてこの世界の常識を知らず、靴下も、熱予防の巻物もなく、徒手空拳突入してみたのですが、1分も経たずに敗北しました。戻ると売店で買ったアルミホイルに巻かれた焼き芋がいい香りをかもしています。次は2段階目の暑さ高温スペースへ。こちらは床板がありますが、館内着で腰を下ろすとSiriは熱いし、足も暑い。やはり数本のタオルが必要です。こちらは、二、三分で退散しました。部屋を出る時、床板が熱く飛び跳ねながら出ました。焼き芋を食べながらしばし休憩。低温は、まあ普通のサウナという感じで、たまたまた人がいなかったため横になってみました。いい感じです。その3種の窯を出たり入ったりしているうちに、すでに二時間経過しておりました。ああやばい、と、そそくさと「森の中漢方サウナ」を後にしたのでした。
明洞(ミョンドン)お買い物をし、空港で遅い昼食を済ませ、無事帰ってきた次第です。やはり、寒いところの温浴施設の文化は素晴らしいものがります。夢はフィンランドの森のサウナですが、叶うことがあるのでしょうか? その前に旅行に耐える体力がなくなってしまうかもしれません。どうしたものやら。
とにかく今回のツアーも充実していました。相棒さん、どうもありがとう。
京都サウナツアー
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024.2.15〜16京都サウナツアー
12月25日にいく予定だった、京都サウナツアーですが、遠井ちゃんの体調悪化により中止されました。今回は、そのリベンジです。京都祇園にある「ルーマプラザ」が半年もの休業を経てリニューアルオープンする。これは行かなくてはいかないではないか! これがことの発端です。ビルの6階にサウナがあり、さらに階段を登ると、そこは京都の街を見下ろすことのできる、快適屋外空間です。前回は夜、星空を見ることができました。その素晴らしい施設がリニューアルされた。もういくしかないでしょう!。
朝6時遠井ちゃん宅集合。出発。朝焼けが綺麗な始まりでした。富士山はくっきり見えるものの,傘雲がかかっている。天気下り模様の予感。静岡SAにて、静岡おでんとおにぎり。
まず目指すは,昭和ストロングスタイル,おもてなしの極地,「大垣サウナ」へ。11時のオープンとともに突入。100度オーバーのサウナと15度の水風呂で久しぶりに甘味が出た!
昼食をとり,さあ次は京都だ。祇園だ。「ルーマプラザ」へ。こちらは半年ほどかけてのリニーアル工事を経て,昨年の12月に再オープン。とても清潔で素晴らしい施設に変貌しておりました。サウナは,大箱とフィンランドあと塩サウナと施設はさらに充実しています。風呂も新たに屋上ののさらに上に炭酸泉が導入され,水風呂もさまざまな温度で3種類。カプセルも新品で気持ち良い。さらに朝食バイキングが無料! にもかかわらず利用料は値上げせず,太っ腹。祇園で一泊4700円はありえない値段設定です。
18時より先斗町へ繰り出す。雨空ではあるがなかなかの人手。やはりインバウンド強し。いい雰囲気も路地数多あり。居酒屋,粉物,バーと3軒梯子して帰宅。9時40分消灯。
4時半起床。5時半よりお風呂へ。まずは大箱で汗を流す。6時に屋上階が開くと同時に,フィンランドを2発。真っ暗な闇が少しづつ,白んでくるのでした。京都の街は今日も曇りなのでした。朝食後9時出発。あれこれ悩んだ末に、名古屋「ウェルビー今池」に決定。いつも通り、キリンさんが迎えてくれました。11時きっかりに突入しました。しかし、ヒトカゲはまばらな上、なんとなくサウナに力がないのです。かんかぬるいというか。いつもと違うなあ、と少し落胆模様でした。
帰りは徐々に天気が回復し、新東名から微妙な富士山も拝むことができました。ありがとうございました。次回は、遠い企画「韓国サウナツアー」です。乞うご期待!
柄谷行人『「力と交換様式」を読む』読了
2月12日に終えた『力と交換様式』に続き、上記作品を読了す。
本書は、単著ではなく、柄谷自身の自作理解への補助的文章。あるいは、擱筆前後のインタビュー、対談等。さらに識者からのレビューからなる。いわば共著である。本書を読むと、『力と交換様式』で読者の理解が曖昧だった部分や、わかりづらかった箇所などが捕捉されている。いわば、『力と交換様式』の入門書という位置付けだろうか。
しかし、本社だけ読んでも、柄谷の思想はよくわからないのではないかな。
ミニ大根種蒔
本日,ミニ大根の種を改めて蒔き直しました。
と,いうのは,十分な土作りと寒さ対策をした上で,12月21日に,ミニ大根,カブの種を蒔いたのですが,さすがに早かったのか,寒すぎたのか,発芽しませんでした。
ということで,今回は同じ場所にリベンジです。
どうなることやら,嗚呼,うまく芽を出してほしいなぁ。
柄谷行人『力と交換様式』読了
柄谷氏の最新の仕事『力と交換様式』読了。
氏は、13年前に上梓した『世界史の構造』から数年後、いい足りないものを感じ、本作に着手したという。
前項『世界史の構造』でも触れたが、柄谷氏は人類の歩みを変化を「生産様式」で読み解くことには限界があるとし、「交換様式」の観点から考えていくべきだという発想をかなり昔に得た。そして、『トランスクリティーク』、『世界史の構造』、そして本作に至るまで「交換様式」という観点から人類を、世界史を通して未来を見ようとしている。
まず氏の、勉強量(読書量?)、あるいは博学さに驚嘆する。そして、独自の視点から知を縦横に交錯させながら、自らの考察を展開し、われら読者に丁寧に示していく。驚きと感謝の一言に尽きる。
柄谷氏は「交換様式」から生じる「力」を軸に人類史を見る。いまだに絶えない、3000年に渡り繰り返されている戦争や恐怖政治によって多くの庶民が生命の危機に脅かされている現在、呪力(A)、権力(B)、資本の力(C)が結合した資本=ネーション=国家をアウフヘーベンする「力」(D)の到来を語る。それはカントの言う「世界共和国」と同意義である。
雪の重み
一昨日関東地方は大雪であった。それも湿り気の多い重い雪である。
昨日も朝からしとしと雨が降り,冴えない天気で畑仕事をしようという気にはならなかった。
2日ぶりに畑に行った。一面真っ白である。ここからは市街化調整区域で家もなく,畑ばかりであったが,最近耕作放棄地や資材置き場などに代わっている。
自宅から5キロほどしか離れていないのに,冬の朝などは2℃ほど低い。
畑は一面雪景色である。いくつかあるダウンポールで作られたビニールトンネルはすべて潰れている。
大蒜もらっきょうも玉葱もほぼ雪の中である。よって本日の作業は雪被害からの復旧作業とあいなった。雪が重い。潰れたトンネルから雪を払うとトンネルが蘇った。
玉葱も大蒜も丁寧に雪を払った。多分大丈夫だと思う。
帰宅後に秦野に住む友人に,我が畑の惨状を知らせ,至急畑に向かうようアドバイスした。当然,うちより秦野の方が積雪が多かったに違いない,という判断からである。
友人は,うちの惨状を見て,あらー,という感じで,落ち着いている。もしかしたら,ほうれん草も,スナップも,玉葱も,全部ダメになってしまうかもしれないのだぞ!
しかし,彼は言ったのであった。
一昨日はたいてい雨だったから,大丈夫だと思う!
うちの畑より秦野の方が雪が少なかったなんて!