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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

       いくら君のこころととのう日記
その他のこと 2024年2月3日

米寿祝い

 本日は,近くのレストランの個室を借りて母の米寿のお祝い会を行いました。

 子供,孫,ひ孫,と本人,総勢9人参加です。実は4日前,体調崩し寝込む状態に陥り,大変弱気になってしまい,2日前に開催辞退を私に申し入れましたがどうにか説得し,今日を迎えました。

 食はあまり進みませんでしたが,孫やひ孫の食べっぷりを見,たくさんのプレゼントをもらい,それなりに楽しそうでした。

 あっという間の2時間。

お母さん、よかったね。これからもよろしくお願いします。

読書について 2024年2月2日

柄谷行人「世界史の構造」読了

 次回の芥研の課題図書は、柄谷行人の最新作『力と交換様式』である。本作は昨年の8月15日に出版された。後書に以下の文章が付されている。

「『世界史の構造』を2010年に刊行した後、私はそこでは触れなかった諸問題を扱う仕事をした。‥‥しかし、その後、私はそれらの仕事では十分に論じられなかった交換様式Dの問題を、改めるように考えるようになった。」

 よって、本作の13年前に書かれた前作『世界史の構造』をまず読まねばならぬと考えた。

 氏は、「マルクスからカントを読み、カントをマルクスから読む」ことを「トランスクリーク」と名付け、そこにヘーゲルを挟むことにより見えてくるものを丹念に追究している。ヘーゲルを挟み、マルクスとカントを考える行為とは、まさに、我々人類が誕生以降の全歴史(政治・経済・宗教その他)を見渡さねばならない仕事である。射程範囲があまりに膨大だ。そこに柄谷氏は「交換様式」という補助線を設け、それを基準にしつつ、様々な過去の文献を的確に引用しながら論を進めていく。交換様式は以下の4次元に説明される。

 交換様式A=贈与(贈与と返礼)ーーネーション

 交換様式B=略取と再分配(支配と保護)ーー国家

 交換様式C=商品交換(貨幣と商品)ーー資本

 交換様式D=XーーX

 交換様式Dはまだ実現されていない。それを筆者はこう定義する。『それは、交換様式Bがもたらす国家を否定するだけでなく、交換様式Cの中で生じる階級分裂を越え、いわば、交換様式Aを高次元で回復するものである。これは自由で同時に相互的であるような交換様式である。」

 

 狩猟採取していた時代から、物々交換を始め、士族社会ができ、国家が生まれーー世界史ーーをたどりつつ、カント永遠平和への道筋を「諸国家連邦」に見出し、国連の鍛え上げ方について検討する。ところで終わる。最後は、理想主義的でこんなに好戦的で異物を否定する人類がこのような状態にまで上り詰めていけれのか? という疑問がハエのように付き纏い、何かしら心地悪きものを残す。

 本書擱筆後、日本においては3,11があり、今年の年頭には能登地震があった。また、ロシアーウクライナ問題イスラエルーハマスの問題も新たに勃興している。『世界史の構造』の結びに書かれた理想論的終わりでは解決できない時代に、まさに進んでいる。あるいは、コンピュータネットワークの進化も新たな覇権、あるいは貧富を産んでいる。

 氏は12年後の『力と交換様式』でどう答えてくれるのか楽しみである。

 

 

 

その他のこと 2024年1月31日

感染

車で10分くらいのところに住んでいる孫が胃腸炎で24日に倒れた。

その後買い物の補助にと妻が娘の家へ行き,わずながらの接触をした。

28日に娘が倒れ,よく29日に妻が倒れた。

30日に婿が倒れ,31日に私と母(88)が倒れた。

もちろんウィルスのせいもあるだろう。また,皆それぞれ疲れを溜めていたのかもしれない。

それにしても,仲がいいというかなんというか。呆れてものも言えん奴らではある。

畑について 2024年1月25日

寒起こし終了

本日,約3aの畑の寒起こしが終わりました。昨年12月より,少しずつ,行いました。一回は1.5h~2hくらい。実働は20日でした。

これから,米糠・鶏糞堆肥・微生物資材を入れて,パワーのない小さな管理機で土作りを進めようと思います。

まずはお疲れ様。いや,とても気持ちよい。

サウナについて 2024年1月18日

サウナ東京

行ってきました!

東京赤坂,昨年4月にオープンした、「サウナ東京」!

最近,お気に入りの同じ場時ばかり行き,新規開拓精神が欠けていた「いくら君」ですが,サウナ友に誘われ,赤坂まで行ってきました。

もう渋谷ですでに迷子状態。銀座線はどこだ?私は赤坂見附から行きました。徒歩5分です。相方は,千代田線赤坂から徒歩1分。

11時オープンと同時に突入!われわれは3時間コース(平日2700円)をチョイス。

1階は,洗い場と,38度の炭酸泉のみ。全体に照明が落とされ大人のムード満載です。

2階にサウナがあります。なんと5種類も。40人収容の大サウナ。ケロサウナ。瞑想サウナ。昭和ストロングタイプのサウナ。残りは蒸し風呂です。こりゃあ,1時間じゃとても無理です。

さらに水風呂は,8度,10度,20度の3タイプ。サウナ野郎の心を鷲掴みです。

ととのい所も充実しており,3時間まるまる入ってました。

2時より中華飲みして🍺帰宅。

久しぶりの新規開拓,最高のサウナでした!

ととのった〜!

 

その他のこと 2024年1月15日

解決

 さっき、急にわかった。

期待するから、いけないんだ。期待しすぎるから、相手にうざがられ、うざがられているのが見えるから、苦しく切なくなるのだ。

要するに、期待しなければいい。彼らは友達だ。そう友達。親友から、自分を理解してくれるであろう人から、ランクを落とせば、訳のわからない他人でありあがら、一緒の歴史を送ってきた友人になれる。そうすれば、恨みも起きないし、苦しみもしない。

なーんだ。簡単簡単。

サウナについて 2024年1月15日

2024コトリップ①

 13日(土)が芥研のため,14日(日)15日(月)を今年のコトリップ①の日程とした。

 今回の第一目標は,前回断念した、鶯谷にある「子規庵」に行くこと。あと翌日は御茶ノ水から古本屋街を冷やかすこと,ぐらいの感じで家を出た。ベースは上野にある「サウナ北欧」である。

朝9時に自宅を出,ほぼ10時半に到着,入館。周りはラブホテル街である。しかしここだけは明治の時間が流れている不思議な空間であった。正岡子規が34歳で亡くなるまでの数年を過ごした場所である。ろくに身体も動かないような状態で、子規はエッセイと多数の俳句を詠んだのだ。庭の景色はしみじみと鄙びていた。夏の糸瓜がまだ残っていた。

  その後,浅草へ徒歩で向かった。意外に近いものである。雷門のあたりはものすごい人手である。外国人方々の多い。そうそうに人ごみを避けるため脇道に入った。すると,JRA場外馬券売り場のでっかいビルが建っている。フラフラと入ってみた。人はまばらである。静かである。清潔である。酒は売っていない。タバコを吸っている人もいない。新聞紙を敷いてその辺に座っているおっさんもいない。ああ,私が知っていた世界はもうどこかへ行ってしまった。駆逐された。馬券は買わずにすぐ出た。

 浅草から上野まで歩いた。近いものである。御徒町・上野付近をぶらぶら。ここは相変わらず雑多である。安心した。昭和が残っていた。そして,北欧へ。

 翌日9時にチェックアウト。外気温は8度である。ここからまず「湯島天神宮」「神田明神」とお参りの梯子をし,御茶ノ水へ。昔,2年間ここへ通った。大学があまりに巨大なビルに建て替えられているのに仰天した。ものすごい金がかかったろう。しょっちゅう寄付寄付いってきたわけだ。ここもこ綺麗に変貌した。私たちの時代は,校舎内でタバコを吸い,すぐその場に捨て,足で揉み消していた。今はありえないだろう。美しく清潔な絨毯がひかれているのだから。

 坂を下り古本屋街まで行くと,また逆に仰天。まったく,40年前と変わらぬ世界が残っているから。入り口の「八木書店」を見た瞬間,タイムスリップした。

 ダラダラ歩き,武道館,靖国神社と周り,改めて明治時代の権力者の大きさを感じ,市ヶ谷からJRに乗って帰路に着いた。

 

読書について 2024年1月10日

カミュ『ペスト』読了

 昨今のコロナ騒動で、この『ペスト』が再発見され、改めて多くの読者の手に取られたという話は耳に新しい。ようやく昨年の5月に、われらの時代の「ペスト」である「新型コロナウイルス感染症」も5類に移行し、平穏に戻りつつある世界であるが、今、この作品を読み直す意味は大いにある。

前回の『異邦人』に続くカミュの小説作品第二作目となる本作は1947年、作者34歳の時に発表され、瞬く間に世界中に受け入れられ、カミュの名声を一気に決定付けた作品である。ちなみに、カミュが小説として発表したものは4作しか存在せず、作家としては寡作であるように思えるが、戯曲あるいは評論など世に問うた作品は多数ある。1957年44歳という異例の若さでノーベル文学賞を受賞するものの、残念なことに47歳の若さで急逝している。別荘からパリに帰る途中の交通事故とのことである。まったくの不慮の事故である。理不尽に命を落としたのである。カミュらしいというのは不謹慎であろうか。

 さて、本作『ペスト』であるが、タイトル通り、アルジェリアのオランにおけるペストの流行という架空の事件を取り扱っている。最後に明かされるものの、主人公たる医師リウーの語りと盟友タルーの手記をところどころ引用するという形式になっている。語りは徹底的に客観描写にこだわり、冷静な記述が続くとともに、新聞記者「ランベール」、老吏「グラン」、予審判事「オラン」、犯罪者「コタール」、「喘息持ちの爺さん」などの個別の物語が挿入され、それらが絡み合うように物語は進む。

 194*年4月16日鼠の変死体が見つかり、あっという間に、「ペスト」が広がり、理不尽にも人々はバタバタと死んでいく。全く手の内ようがない広がりで、街は封鎖され人々の恐怖と投げやりさは深刻になる。医師リウーは寝る間も惜しみ奮闘を続ける。盟友タルーは民間奉仕部隊を結成し、二人は物語の両輪としてペスト対策に奮闘する。読者の一人として正直に話すが、最初本作には小説らしき仕掛けが上手く見えず「いくら君」は読み進めるのにたいそう難渋した。しかしあるポイントに到達すると一気に景色が開け、物語のうねりに絡めとらて最後まで一気に読み進めることとなった。そのポイントとは、本作副主人公の位置を占めるタルーの告白である。タルーはなぜこんなにペスト対策に一生懸命になれるか?それを友人リウーに告白する場面がある。タルーは良家の姉弟で何不自由なく生活していたが、17歳のとき検事である父の論告を見に行った。そこでは普段の優しい父とは違う法服を来た険しい表情の父が、赤毛の男に死刑判決を言い渡すのである。父は人の命を奪う立場にあるのだ。タルーは父よりも、怯えた目をした不幸な赤毛の男の方に共感を持つ。決して人が人の命を、たとえ間接的にでも、奪うことは絶対に許されないことである、という強い哲学を身につける。そして彼は政治運動に参加するようになった。「ペスト患者になりたくなかったーーそれだけのことなんだ。僕は、自分の生きている社会は死刑宣告という基盤の上に成り立っていると信じ、これと戦うことによって殺人と戦うことができると信じた。(中略)人を死なせたり、死なせることを正当化したりする、いっさいのものを拒否しようと決心したのだ。」と医師リウーに語るのであった。ペスト患者とは、死を約束された、不条理を押し付けられた存在であり、かつまた、不条理を押し付ける存在の比喩であろう。

 荒れ狂う「ペスト」であるが、12月中旬に減少の傾向が見られ、翌1月25日に「県庁は病疫が防止されたものとみなされううこと」を宣言し、一気に収束に向かう。しかし、タルーはペストに感染し死ぬ。また、その直後、病気療養で「オラン」を離れていた、「妻の死の知らせる電報」をリウーは受け取る。しかし、町の門は開かれ人々は幸福を享受し熱狂する。

 難解な作品であるが、最後一気に感動に導かれる作りになっている。前半は抑えに抑え、最後一気に物語は花開く。誠におかしな例えではあるが、「いくら君」は、太宰治『津軽』を連想した。最初、辛く暗い描写が延々続き、最後、「たけ」と出会うシーンで一気に今までの苦労が報われる、といった構成に関してである。

 また、カミュの思想的立場がとてもよく理解できる。この生真面目で端正な表現者は、コミュニズムにもキリスト教にも頼らない、より人間的な第三の道を追求したからこそ、戦後の世界に認められたのであろう。

 

大変な名作であった。ぜひ、一読をお勧めしたい。

 

 

サウナについて 2023年12月28日

サウナ実績

今年のサウナ実績です。

ストレスが軽減されたのでしょうか?去年よりだいぶ減りました。

特筆すべき点は,名古屋・神戸に加え,熊本・福岡・佐賀のサウナ名が入っていることです。

逆にホームサウナはかなり減りました。

その他のこと 2023年12月28日

餅つき

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本日は餅つきでした。昨年まで,母(88)が主導し,われわれが補佐だったのですが,認知も進み母はあまりやる気がありません。

ということで,私が立ち上がったのですが,母が難なくやっていたことが,なかなかうまくできない。突きたての餅が熱くて待てない。たいそう苦労しました。

とにかく熱い。指が火傷しそうなのです。で,慌てて引っ込め流しで冷水に浸し再チャレンジをする。それを数回。いい加減埒が開かないので,えいゃ!と,餅に手を突っ込み,あげようとすると指に絡みついて今度は取れない取れない。

確か,漱石の『猫』の中で伸びた餅に翻弄され,苦沙味先生に笑われる猫のシーンがありましてが,まさにあんな感じ。

本人は至極真面目なのに,いや,真面目だからこそ滑稽になる。

とにかく,どうにかこうにか,のし餅2枚とお供え餅を3っつ片付けました。

後で見たら,指の腹5箇所が水膨れになっていました。情けない。

母は偉大でありました。

 

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