2024コトリップ①
13日(土)が芥研のため,14日(日)15日(月)を今年のコトリップ①の日程とした。
今回の第一目標は,前回断念した、鶯谷にある「子規庵」に行くこと。あと翌日は御茶ノ水から古本屋街を冷やかすこと,ぐらいの感じで家を出た。ベースは上野にある「サウナ北欧」である。
朝9時に自宅を出,ほぼ10時半に到着,入館。周りはラブホテル街である。しかしここだけは明治の時間が流れている不思議な空間であった。正岡子規が34歳で亡くなるまでの数年を過ごした場所である。ろくに身体も動かないような状態で、子規はエッセイと多数の俳句を詠んだのだ。庭の景色はしみじみと鄙びていた。夏の糸瓜がまだ残っていた。
その後,浅草へ徒歩で向かった。意外に近いものである。雷門のあたりはものすごい人手である。外国人方々の多い。そうそうに人ごみを避けるため脇道に入った。すると,JRA場外馬券売り場のでっかいビルが建っている。フラフラと入ってみた。人はまばらである。静かである。清潔である。酒は売っていない。タバコを吸っている人もいない。新聞紙を敷いてその辺に座っているおっさんもいない。ああ,私が知っていた世界はもうどこかへ行ってしまった。駆逐された。馬券は買わずにすぐ出た。
浅草から上野まで歩いた。近いものである。御徒町・上野付近をぶらぶら。ここは相変わらず雑多である。安心した。昭和が残っていた。そして,北欧へ。
翌日9時にチェックアウト。外気温は8度である。ここからまず「湯島天神宮」「神田明神」とお参りの梯子をし,御茶ノ水へ。昔,2年間ここへ通った。大学があまりに巨大なビルに建て替えられているのに仰天した。ものすごい金がかかったろう。しょっちゅう寄付寄付いってきたわけだ。ここもこ綺麗に変貌した。私たちの時代は,校舎内でタバコを吸い,すぐその場に捨て,足で揉み消していた。今はありえないだろう。美しく清潔な絨毯がひかれているのだから。
坂を下り古本屋街まで行くと,また逆に仰天。まったく,40年前と変わらぬ世界が残っているから。入り口の「八木書店」を見た瞬間,タイムスリップした。
ダラダラ歩き,武道館,靖国神社と周り,改めて明治時代の権力者の大きさを感じ,市ヶ谷からJRに乗って帰路に着いた。
カミュ『ペスト』読了
昨今のコロナ騒動で、この『ペスト』が再発見され、改めて多くの読者の手に取られたという話は耳に新しい。ようやく昨年の5月に、われらの時代の「ペスト」である「新型コロナウイルス感染症」も5類に移行し、平穏に戻りつつある世界であるが、今、この作品を読み直す意味は大いにある。
前回の『異邦人』に続くカミュの小説作品第二作目となる本作は1947年、作者34歳の時に発表され、瞬く間に世界中に受け入れられ、カミュの名声を一気に決定付けた作品である。ちなみに、カミュが小説として発表したものは4作しか存在せず、作家としては寡作であるように思えるが、戯曲あるいは評論など世に問うた作品は多数ある。1957年44歳という異例の若さでノーベル文学賞を受賞するものの、残念なことに47歳の若さで急逝している。別荘からパリに帰る途中の交通事故とのことである。まったくの不慮の事故である。理不尽に命を落としたのである。カミュらしいというのは不謹慎であろうか。
さて、本作『ペスト』であるが、タイトル通り、アルジェリアのオランにおけるペストの流行という架空の事件を取り扱っている。最後に明かされるものの、主人公たる医師リウーの語りと盟友タルーの手記をところどころ引用するという形式になっている。語りは徹底的に客観描写にこだわり、冷静な記述が続くとともに、新聞記者「ランベール」、老吏「グラン」、予審判事「オラン」、犯罪者「コタール」、「喘息持ちの爺さん」などの個別の物語が挿入され、それらが絡み合うように物語は進む。
194*年4月16日鼠の変死体が見つかり、あっという間に、「ペスト」が広がり、理不尽にも人々はバタバタと死んでいく。全く手の内ようがない広がりで、街は封鎖され人々の恐怖と投げやりさは深刻になる。医師リウーは寝る間も惜しみ奮闘を続ける。盟友タルーは民間奉仕部隊を結成し、二人は物語の両輪としてペスト対策に奮闘する。読者の一人として正直に話すが、最初本作には小説らしき仕掛けが上手く見えず「いくら君」は読み進めるのにたいそう難渋した。しかしあるポイントに到達すると一気に景色が開け、物語のうねりに絡めとらて最後まで一気に読み進めることとなった。そのポイントとは、本作副主人公の位置を占めるタルーの告白である。タルーはなぜこんなにペスト対策に一生懸命になれるか?それを友人リウーに告白する場面がある。タルーは良家の姉弟で何不自由なく生活していたが、17歳のとき検事である父の論告を見に行った。そこでは普段の優しい父とは違う法服を来た険しい表情の父が、赤毛の男に死刑判決を言い渡すのである。父は人の命を奪う立場にあるのだ。タルーは父よりも、怯えた目をした不幸な赤毛の男の方に共感を持つ。決して人が人の命を、たとえ間接的にでも、奪うことは絶対に許されないことである、という強い哲学を身につける。そして彼は政治運動に参加するようになった。「ペスト患者になりたくなかったーーそれだけのことなんだ。僕は、自分の生きている社会は死刑宣告という基盤の上に成り立っていると信じ、これと戦うことによって殺人と戦うことができると信じた。(中略)人を死なせたり、死なせることを正当化したりする、いっさいのものを拒否しようと決心したのだ。」と医師リウーに語るのであった。ペスト患者とは、死を約束された、不条理を押し付けられた存在であり、かつまた、不条理を押し付ける存在の比喩であろう。
荒れ狂う「ペスト」であるが、12月中旬に減少の傾向が見られ、翌1月25日に「県庁は病疫が防止されたものとみなされううこと」を宣言し、一気に収束に向かう。しかし、タルーはペストに感染し死ぬ。また、その直後、病気療養で「オラン」を離れていた、「妻の死の知らせる電報」をリウーは受け取る。しかし、町の門は開かれ人々は幸福を享受し熱狂する。
難解な作品であるが、最後一気に感動に導かれる作りになっている。前半は抑えに抑え、最後一気に物語は花開く。誠におかしな例えではあるが、「いくら君」は、太宰治『津軽』を連想した。最初、辛く暗い描写が延々続き、最後、「たけ」と出会うシーンで一気に今までの苦労が報われる、といった構成に関してである。
また、カミュの思想的立場がとてもよく理解できる。この生真面目で端正な表現者は、コミュニズムにもキリスト教にも頼らない、より人間的な第三の道を追求したからこそ、戦後の世界に認められたのであろう。
大変な名作であった。ぜひ、一読をお勧めしたい。
サウナ実績
今年のサウナ実績です。
ストレスが軽減されたのでしょうか?去年よりだいぶ減りました。
特筆すべき点は,名古屋・神戸に加え,熊本・福岡・佐賀のサウナ名が入っていることです。
逆にホームサウナはかなり減りました。
餅つき
本日は餅つきでした。昨年まで,母(88)が主導し,われわれが補佐だったのですが,認知も進み母はあまりやる気がありません。
ということで,私が立ち上がったのですが,母が難なくやっていたことが,なかなかうまくできない。突きたての餅が熱くて待てない。たいそう苦労しました。
とにかく熱い。指が火傷しそうなのです。で,慌てて引っ込め流しで冷水に浸し再チャレンジをする。それを数回。いい加減埒が開かないので,えいゃ!と,餅に手を突っ込み,あげようとすると指に絡みついて今度は取れない取れない。
確か,漱石の『猫』の中で伸びた餅に翻弄され,苦沙味先生に笑われる猫のシーンがありましてが,まさにあんな感じ。
本人は至極真面目なのに,いや,真面目だからこそ滑稽になる。
とにかく,どうにかこうにか,のし餅2枚とお供え餅を3っつ片付けました。
後で見たら,指の腹5箇所が水膨れになっていました。情けない。
母は偉大でありました。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』読了
前回のカミュ『異邦人』に引き続き、不条理シリーズ。今回は、サルトル『嘔吐』です。本作は、読み続けるのが、難しく(彼の文章が私を拒んでいる感じ)、なかなか進まず、苦労しました。
サルトルは言わずと知れた「実存主義哲学」の人であります。右目が斜視で特徴的な容貌を持つ方だと、子供の頃から印象深い人でした。肩書きとしては、哲学者というのが
一番に来ると思いますが、彼が世に出た最初はこの『嘔吐』という小説でした。1905年生まれの彼が33歳の時、この作品を世に問いました。1938年のことです。カフカの影響をかなり受けているようです。
さて本作ですが、高等遊民的な生活を送る「アントワーヌ・ロカンタン」が、「ド・ロルボン侯爵」の歴史書を書くため3年前より「ブーヴァル」に滞在しています。本作は、そのロカンタンの日記、という体です。ロカンタンは基本的に図書館で調べ物をし、「鉄道員さんたちの店」で食事をしたり酒を飲んだりしています。そこのマダムとは肉体関係を持っています。
ある日、「水切り」をしようと石を持った際、不思議な不快感に襲われます。彼はそれを〈吐き気〉と表現します。
以後、様々な場面で「嘔吐感」に」襲われ、図書館で知り合った独学者とのランチ中にも嘔吐感に襲われますが、その後立ち寄った公園でマロニエの木を見た瞬間に原因が判明します。
それは「存在」についての気づきでした。全てのものはただ偶然存在し、また自分自身も偶然存在し、その存在に何の意味もない、という気づきが彼に嘔吐感を起こさせたのでした。しかし、「鉄道員さんたちの店」である音楽を聴いている時はその発作が来ないのです。
彼は自己の「存在」について思考を深めるとともに「ロルボン侯爵」の伝記執筆を放棄し、元恋人アニーとの再会と別れを経験し、この地を離れ「パリ」に移住することを決意します。最後に寄った「鉄道員さんたちの店」で、給仕のマドレーヌの勧めで音楽を聴きながら、小説を執筆することが自分を救うことだと決意するシーンで終わります。
全体、辛く苦しい文章に覆われていますが、何らかの結論めいたものを獲得したロカンタンが小説を書く決意をする箇所は、前向きで明るく素晴らしい描写でした。
一般的にわれわれは社会の中である何らかの意味を持って存在していると考えています。しかし、サルトルによれば、われわれの存在に意味など全くないのです。それは演技であり、実存は無であるという結論を得た際の衝撃を理解する必要性を言いたいのだ、と、本作から受け取りました。生きる。食う、寝る。その原点から全てが始まるのであって、虚飾の意味づけを罵倒するサルトルの厳しい捻くれ度が十分に伝わってくる作品でした。
ついてない東京コトリップ
- 遠井ちゃんとの京都行きが中止になったため,1人東京コトリップを画策した。やはり,泊まりは聖地北欧(上野)。で,以前行った鴎外記念館のカードがある。これを今コラボ中の漱石山房に持って行けば,入館料は半額で,その上,記念の缶バッチが貰える。
- ということで,早稲田にある漱石山房を第一目標とし,鶯谷の子規庵を訪ねる,というルートを考えた。
- 25日朝10時自宅発。最近相鉄が延伸し,新宿まで乗り換えなしで行けるという,大変喜ばしい事態になっている。嗚呼,長生きはするものである。
- ところが,この日に限って,渋谷人身事故の影響で大崎辺りから動かなくなった。それでもどうにか渋谷まで行き,地下鉄で早稲田付近に向かうことを決断する。これが①
- 西早稲田から歩くも,ナビに大回りさせられ,15分のところ30分かかる。②
- ようやく到着した漱石山房だったが,月曜日は休館!③
- まあ,明日行けばいいやと,気を取り直し,昼飯屋を探すも,早稲田の学生だらけで,どこも大混雑状態であった。④
- ようよう,飯田橋まで避難し昼飯にありつく。
- では,鶯谷も子規庵もまさか?と,調べてみる。あらまあ,今年の開館は昨日24日で終了だとさ。⑤
- 上野で,あちこち散策し,ようやく北欧に到着。3時半頃から1時間半、3セットを決める。アウフガースの予定表が貼ってあったが,昨日24日までしか載っていない。月曜日だからないのか?と,特に深掘りせず,飲み食い寝る。翌朝5時にサウナへ入ると,新しいアウフグースの予定表が張り替えられている。みるとはなしに見てみると、昨日私が上がった30分後に,鮭山さん(世界大会で6位になった伝説の女性熱波師)がやっている。泣いた。⑥
- 今日(26日)は,上野の科学博物館へ行き,それから地下鉄を乗り継いで,早稲田漱石山房に無事到着。漱石の世界を満喫し,今新宿発海老名行きの中でこの文章を書いた。
- 6つの残念なことがあったが,最後は満願叶いよしとする。サウナは相変わらず良かったのである。
正岡子規&娘
うちの娘は9月17日生まれである。後日,正岡子規と同日だと知り,親バヤ野郎はにわかに興奮したのであった。
4.5歳の頃,冬,西伊豆をドライブし,休憩がてら,海を見ていると,突然彼女は,
「椿咲き山の緑と海の青」と一句放ったのである。
親バカ野郎は天才ではないかと疑った。
小学校2年生の時,北杜夫『船乗りクプクプの冒険』という文庫本を手渡すと2日後に読んだから返すと持ってきた。
親バカ野郎が中1の時,1週間ほど掛けて読んだ本である。
まさか,そんなはずはない。と,話を聞いてみると,確かに読んでいる様子である。
親バカ野郎は,彼女の天才を確信した。
確かに,国語はよく出来た。しかし,さほど読書家であるようにも思えない。
大学時代は芝居の脚本を書いていたが,今は,やっていない様子である。
最近,子規に再び興味を持ち,あれこれ読んだり,調べたりしていると,生まれは10月14日で,命日が9月19日とある。
あれ?
私の記憶違いだったのかしら?
よく調べると,旧暦の9月17日生まれであり,今の暦では,10月14日になる。
嗚呼,ズレていたのね。親バカ野郎の先走りだったことが,娘36歳にして判明した。
という,つまらない話でした。
有馬記念 データ
昨日は有馬記念でした。
朝から,さまざま検討し,三連複で勝負しましたが,散りました。
過去のデータで,近年,ジャパンC組は日程タイトのせいか,連に絡んでいない。
で,ドウデュースとタイトルホルダーの評価を下げました。
また,16枠は過去一頭も来ていないこともあり,スターズオンアースも,三連複フォーメーションの三列目にしてしまいました。
結局,その3頭が来たのですが,過去のデータに頼りすぎるのも,いかがなものかと、反省する次第です。
それにしても,ドウデュース×武は強かった。
おめでとうございます。
残念
25日26日は1泊で,遠井ちゃんと,京都のサウナ(ルーマプラザ)に行く予定であったが,遠井ちゃん40度の高熱のため,中止となりました。
残念!また,次回。
土起こし
本日は,来る春野菜の準備に土起こしをしました。2m×8mくらいです。冬は,収穫が中心で,さほど畑仕事がないため,土作りに励みます。
米糠を蒔いてスコップで30cmくらいの深さまで起こします。雑菌や虫などが冬の寒さで駆逐され,さらに米糠のおかげで土中の微生物が活発になるということです。
まあ,そういう現実的な効果を期待して作業をしているのですが,思わぬ効用があるようです。
単純作業ですが,それなりに力は必要です。しかし,段取りなどほとんど考えなくて済む作業です。するとスコップで土を掘りながら,なんだか色々なことが頭の中を駆け巡るのです。
しかし,後悔した時に頭の中を駆け巡るネガティブな奴じゃなくて,なんか良い感じの没入感の中,哲学的な思考であったり,創造的な発想ですあったりが,浮かんでは消え,浮かんでは消えするのです。
あやしうこそものぐるほしけれ
と,いう高揚感に包まれました。
土起こしはとても楽しい作業なのです。