12/21の種まき
昨日,種まきをしました。ミニ大根とカブとほうれん草です。
こんな寒い時期にできんのかいな?との声が聞こえてきそうですが,防寒対策をしっかり行えば,たぶん,きっと,おそらく,できるのです。
穴あき黒マルチをし,種まき後,籾殻をたっぷりかけ,上に不織布で覆います。水遣り後,穴なしビニールトンネルを施して完成です。
昨年はできました。
でも,最近の気候では,いつも通りやっていればいい,というわけには行きませんから,なんとも言えませんが。
祈ります。🙏
カミュ『異邦人』読了
アルベール・カミュは1913年11月7日、フランスの旧植民地アルジェリアで生まれた。アルジェリアは地中海を挟んでイタリアの向かい側、エジプトの隣にある。
カミュは、1940年5月に本作を発表し、27歳にして一躍文壇の寵児となったという。
本作は、1部と2部に分かれている。
1部は、主人公、青年ムルソーが、母の葬儀の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見で笑い転げ、友人の女出入りに関係しアラビア人を銃で殺害するまで。文体は、乾いており、事実を淡々と積み重ねていく。ムルソーは、知的だが、どこか冷めた青年である。描写は淡々としながら、暑さと眠りについては、しつこいくらいに強調される。
2部は、投獄されたムルソーと弁護人、判事、裁判官とのやり取りの中で、ムルソーから受ける、何事にも媚びないアンニュイな独特の雰囲気に、弁護士は頭を抱え、裁判官は怒り、死刑判決が下される。ムルソーは特にとんがっているわけでもなく、ただ自分に正直に生きるだけである。裁判を自分に有利になるよう働きかけることはしない。ただ、正直に彼の思いを語るだけだ。周りの皆は、母の葬儀の際涙を流さなかった、という一点で彼から負の印象を受け、彼が極悪人であるが如き判決文を作成していく。死刑判決を受けたのち、当然ながら彼は苦悩する。他者からは一貫性のない思いつきの発言をするように受け取られるムルソーであるが、世俗的に標準化された正義に対し不快感を持ち、自分を貫き通す。殺害の動機は「太陽のせい」という有名な箇所には痺れる。彼のような人間は、システムに迎合した社会的立場のある人間には理解されない、無力でアンニュイで気まぐれで誰よりも自分に誠実なムルソー。自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物が憎悪の叫びをあげてくれることを望む。
この世は全くの不条理である。
ヨコヤマユーランド 昔の話
ヨコヤマユーランド鶴見は私の大好きな温浴施設の一つです。
施設は古く,地元のジジババの集会場,という感が拭えませんが,お湯もサウナも超一流。とても素晴らしい施設です。
ちょっと前の話。
私はド近眼で,メガネなしには歩けないような有様なのですが,さすがにサウナに入る時は外します。だいたい入り口付近にメガネ置場があります。
その日,メガネを置こうとすると,メガネ置場がいっぱい🈵。(3つ分)。
しかし,その中の一つは、ビニールに包まれた文庫本が載っている。
ここは,メガネ置場だ!私は不愉快な気持ちで,メガネを別の場所に置き,サウナで蒸されました。
7分ほどで出て,水風呂に入ろうとすると,私よりひと足先に出た若者が,水風呂に飛び込み,頭から浸かり,しばらく死体のようにぷかぷかしています。
それを見て,私の後ろにいたジーさんが,なんだありゃ,プールじゃないのに。マナーがなってないなぁ。と,私に同意を求めるのです。
同感の私は,ジーさんに相槌を打ち,目で共感した旨を伝えました。
が,次の瞬間,そのじーさんは、メガネ置き場の文庫本を持って,脱衣場に戻ったのでした。
目が点になりました。
ジャンジャン。
昨日 畑
昨日,我が畑に石渡さんが遊びにきてくれた。
新採用高の友人である。しばらくきれていたが,昨年別の友人を介して再会。
そして,私のFacebookを見ていてくれて,畑に興味を持ったとのこと。
土作りの真似事をし,収穫体験をしてもらった。
石渡さんの畑で,美味しい野菜ができるといいな。
中島義道「哲学の教科書」読了
花村萬月が好きだ。彼の力技にいつもねじ伏せられる。心地よい敗北感と共に。
花村のエッセイの中で,中島義道「哲学の教科書」を読むべし,とあるので読んだ。
私は尊敬する人間の前では至って素直なのである。
のっけから,ひっくり返った。作者は怖くて跳び箱など飛べなかったのだが,「跳び箱の跳び方」というペーパーテストは「教科書」を丸暗記していつも満点だった。という。
そんなの意味あるか? 跳び箱を跳べるようにならなければならないのだ。つまりはそういうことなのだ。
哲学者と哲学解説者。中島義道は両者を全く別物と断ずる。哲学するとは,哲学の本を読んでその学説が理解できた,ということではないのだ。
私とは?
死とは?
心はあるのか?あるならどこに?重さは?
などなど,子供が疑問に思うようなことを,考え続けてしまう人が哲学者なのだ。
本書には多くの示唆を受けた。文章が,平易で,筆者が上げる具体例がとてつもなくよい。また,偉そうでないのも素敵である。
ぜひ,多くの人に読んでもらいたい良書である。
白菜漬け
12月7日(大雪)に,白菜を3個つけました。塩と柚と鷹の爪のみ。とてもシンプルです。
水も上がってきて,そろそろ食べ頃のようです。
阪神ジュベナイリフィリーズG1
三連複で取りました。3680円です。
①アスコリピチェーノ
②スタレンボッシュ
③コラソンビート
2歳戦は難しい。何せみんな前走1.2着なのだから。
ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』読了
ようやく読了。11月3日から頁をくり始めたのでほぼ一ヶ月かかりました。それは、前半部分の読みになかなか乗らなかったからです。とにかく描写が徹底的に細かいため、悪く言えばまどろっこしい。よって、読み手自身が物語の中に没入できず、なかなか進まないという状態でした。しかし。後半から、つまり、ボヴァリー夫人が色男ロドルフとの姦通し面倒になったロドルフに捨てられる箇所、さらに青年書記レオンとの情事にのめり込む様子や、多額の借金を抱え服毒自殺をするあたりへは、一気に物語に巻き込まれていきました。
ギュスターヴ・フローベールは1821年フランス生まれ。父親は市立病院の医者。兄は父の後を次、フローベル自身は法学生となります。この医学と法学の知識が、小説内ではふんだんに使われています。1851年(30歳)から「ボヴァリー夫人」の執筆が開始され、4年半をかけてこの小説は完成します。「パリ評論」に連載されるのですが、当局からの圧力により、多くの部分を削除し発表したにも関わらず、「公衆の道徳および宗教に対する侮辱」の罪を問われます。いわゆる「ボヴァリー裁判」です。結果から言うと、フローベルー側は勝訴し、そのことが結果的にいい宣伝ともなり、発売後大いに読まれたそうです。
本作の特徴はなんと言っても描写の執拗さです。ストーリー自体は主人公が姦通し借金に塗れ自殺するという、まあ、ありがちなものですが、それを一介の風俗小説ではなく、世界文学にまで押し上げたのは、その描写の力、及び文体の練り込み具合というか工夫であると言えます。フローベールは本作完成までに4年半かけたそうですが、とにかく徹底的な推敲をしたようです。安岡章太郎が、小説は鉛筆ではなく消しゴムで書くものだ、みたいなことをどこかで言っていましたが、まさに書いては消し書いては消し、推敲推敲! その徹底性によって本作は完成しました。とてつもない粘り腰です。また、経済的な後ろ盾があったからこその時間であったのでもあるでしょう。
また、訳者芳川泰久さんが後書に書いていますが、フローヴェルが編み出した「自由間接話法」の駆使が本書の文体を生き生きとさせているということです。いわゆる「神の視点」で描いてしまうと、どこか作り物めいた鼻白むような点が生まれてしまう。安っぽい御伽話になってしまう。語り手が全ての登場人物の内面描写をし、行動を把握している、という立場でいるのは、おそらく近代文学としてはいけていないのでしょう。しかし3人称小説でありながら、フローベールはそこをとても慎重に取り扱い、神の視点を排除する工夫をした。それが、自由間接話法だというのです。なるほど、言われてみれば、翻訳者の苦労と工夫が随所に溢れています。
なかなか読み応えのある作品でした。
ジャパンカップ
昨日、JRA主催ジャパンカップだった。1着賞金五億円、日本最高賞金のレースである。以前は(日本がまだ金持ちだった時、円の価値が相対的に高かった時)は、海外からの参戦も結構あったのだが、昨今は、コロナ及びJCの魅力低下により、外国馬がいない年もままあり、今年は一頭いたので、それでもマシな方だった。今は、ドバイのレースなんんかものすごい賞金出しているらしい。みんなそっちへ靡いています。
でね、三連単を取ったのですよ。取ったには取ったのですが、なんと1130円。3連単でですよ。それだけ、イクイノックスが突出していたこと、また、リバティアイランドの力が本物であるということ、スターズオンアースもまあね。カッチカッチの鉄板馬券だったわけ。まあ、取らないよりはいいのだけれど。イクイノックスの強さが見られて嬉しいのだけれど、でも、馬券的にはあまりに妙味なしでがっかりでした。