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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

霜田

その他のこと 2025年1月29日

霜田

 小学校低学年の頃は、ぼんやりした子供だった。小学校5年生くらいから、何やら生きづらさを感じ始めた。中学時代は決定的に不愉快だった。自身のコンプレックス、他者との比較から生じる絶望感。学校という堅牢な組織は私の目の前に高く聳えた。さまざまな縄が私を縛り、私の自由を奪った。何もかも不愉快だった。勉強も友人も恋愛も成長や性も、自らのコントロール下になく、暴走気味で呪わしかった。

 冴えない成績で、凡庸な新設高校へ進学した。通知表の数字で輪切りにされた学校生活は、当初こそ不快であったが、じきにに慣れ、心地よい場所に変わった。中でも私の一番心地よい場所は部活動だった。ギターを弾いて音楽を作った。最初は誰も知り合いがおらず、一人でギターをかき鳴らしていたが、次第に話す友人も増え、演奏における情報を交換したり、好きな音楽について語り合ったりした。数人の仲間ができた。その中の一人が霜田だ。彼は、私には眩しいほど音楽の才能に恵まれた男であった。ギターも上手いし、譜面も読めるし、なんだったら自分で描ける。彼からさまざまなことを学んだ。我儘で他人とうまくやっていけない私に、なぜか霜田はさまざまな支援をしてくれた。合奏の楽しさ、ハーモニーの心地よさを教えてくれた。もちろん、音楽のことばかりでなく、思春期の小僧がぶち当たる問題もゲラゲラ笑いながら話して苦悩など吹き飛ばした。

 しかし、彼は優しい性格で人気者だった。私以外にもたくさんの友人がいた。私は、自分が一番でないことが寂しかった。でも、霜田はめちゃくちゃいい奴だから友人がいっぱいいる、私はその中の一人に過ぎないけれど、それは仕方がないことなのだ、と自分を宥めた。私はたいそうな面倒な人間のようで、一人が好きなくせに、常に誰かにかまってもらいたいという癖がある。孤独好きの甘えん坊。向こうから来られると、サッと引くくせに、自分からは迫りたい。矛盾の塊。自分でも持て余すくらい面倒なやつ。

 大学生の頃、あるいは結婚したばかりの時、何回か、会って呑んだ。しかし、それから三〇年以上途切れていた。霜田は律儀なやつで、ずっと年賀状をくれた。私も霜田との細い線を切りたくなかったから、年賀状を出した。一行二行の現状報告を乗せて。

 数年前、ライブをする彼の姿が印刷された賀状が届いた。ああ、彼は、やはり、いまでもギターをやっている。何か遠い世界のことのようだった。その頃、私は仕事上の大きな試練に中にあって大層苦しんでいた。職場へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。それでも定年後もどうにか再任用を勤めたが、もう限界だと二年で辞めた敗北感のようなものが自分の心を蝕まないように注意を払った。うまく行く場合もあったが、そうでない時の方が多かった。仕事も辛いし、仕事を辞めても辛い。全く厄介だ。

 今年の年賀状に連絡くださいと一言あったので、メールをしてみた。すぐ返事が来て、すぐ飲む約束をした。で、呑んだ。三十数年ぶりとは思えない。時間は飛んですぐさま二人の距離は縮まった。しかし、二人とも六十四歳のジジイであるため、音楽の話ばかりでなく、体調から家族から仕事まで話題は多岐に及ぶも、決して途切れることはなかった。

 楽しい。楽しい。楽しい。ああ、私は、人生の時間の中で、高校時代が一番楽しかったのだな、と、今更ながら思うのである。かけがえのない、なんの衒いもなく馬鹿みたいに純朴に何かに突き進んだ三年間だった。高校を卒業してから四十五年が経つ。ずいぶん遠くへ来てしまった。でも、私の心のベースには、常にあの三年間がある。そして霜田がいる。さまざまなことが、細々となる老人の時間であるからこそ、あの頃の思いを大切にしたい。

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