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畑仕事、キャンピングカーの旅、サウナ、読書…晴耕雨読の日々を綴る【いくら君のこころととのう日記】

山形県出羽三山➕山寺の旅

旅について 2024年7月20日

山形県出羽三山➕山寺の旅

 7/17~19の旅程で,研究会の仲間である長谷川氏と共に、出羽三山及び山寺(立石寺)を巡ってきた。今回の旅の障碍(問題点)は天候であった。雨であった。でも、それだけではない。何か、天におちょくられているような感覚を覚える旅であった。

 出羽三山詣では、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表するとされ、羽黒山修験道では死と再生の意味を持つという。今から1400年前の推古元年(593)第32代崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子(はちこおおじ)が羽黒山を開いたのが出羽三山の始まりである。まずは初日の宿である宿坊神林勝金に14:30に到着する。小雨模様の為バスで山頂(414m)に登ることにする。時間があるためバス停前の「いでは文化記念館」に立ち寄る。小雨模様である。時間通り(15:12)に到着したバスに乗り込み羽黒山に向かう。およそ10分程度で到着。山頂から随神門まで大小の社がある。まずは手水舎を通り三神合祭殿を参拝す。雨空ではあるが小雨模様の為、数多の末社をたどりながら随神門までの1700mの杉並木を降りることにする。途中国宝の五重塔を大きな目標である。樹齢数百年の杉が天を突くようにすうっと伸びている横の石畳を傘をさして下る。次第に雨が強くなる。そして土砂降りとなり、石畳は川となる。途中の末社で雨宿りをするも衰える様子もなく、雨は容赦がない。傘が役にたたないような豪雨の中、足元に注意しつつ下る。右に五重塔を見えてくる。しかし。半身を足場と布に覆われている。工事中であった。この辺から、今回の旅の模様が暗示されていた。ほうほうの体で宿に戻る。敷地内に末社が二つあるような由緒正しき宿坊である。縁起は書かれていないが数百年の歴史を持つものであろうことは容易に想像される。客は外国人が多い。古来の日本を体験していただければ幸いである。

 翌朝も当然の如く大雨である。しかし天気予報には10時頃から持ち直すと出ている。では参りましょう。7 :00に出発し一時間ほどで月山(1984m)八合目に到着する。外は嵐。まるで台風の中にいるようである。しかし駐車場には何台か車がある。レストハウスや神社に通う人たちのものであろう。まずはレストハウスにて作戦を練る。コーヒーを啜りながらスマホの天気予報をと窓の外の現実を見比べる。両者は手を組み我々の行手を阻もうと努めている。予報は徐々に後ろにずれ、雨が上がるのは12時に後退している。山頂までは弥陀ヶ原を通り2.5〜3時間とある。旅行者である我身は決行か否か迷うのだが、折衷案で「とりあえず弥陀ヶ原を周ってみよう」ということになる。雨具をしっかり身につけ、傘を差し、整備された湿地帯の木道を歩き始める。周回30分程度の高山植物の生える湿地帯である。終わりつつある日光キスゲが首を上下左右に揺らしながら暴風雨の中、我々を迎えてくれる。15分程度で山頂への分岐点に達したが、この小道はすでに川になっている。大量の雨水が全てその小道に集約され一つのうねりになっている。その豪たる流れが我々の無謀なるチャレンジを完全に嘲笑っているのに遅まきながら気づいた。「無理だ! 戻ろう!」しかし、下りの道もすでに奔流と化している。我々は十分に足元を注視ながら水面下15〜20cmに見え隠れする石に足を落とし、滑り転げるのを恐れながらレストハウスに向かう。「いくら君」は登山靴であるが、長谷川氏は白い地下たびである。かなり足元が不安定なはずだ(その日夜氏は脹脛を揉んでいた)。車に撤退し、とにかくずぶ濡れの全ての客いを後部座席に放り投げ着替えをして出発した。大いなる的に道を阻まれ、それどころかあまりに小さく弱い存在を嘲笑われ、逃亡したのであった。いや、考え方を変えよう。これはまた来い!ということなのだ。来年のリベンジを誓い合った二人である。

 一時間ほどで湯殿山神社(1500m)に到着。パンフレットによると「古来、出羽三山の奥宮とされ、修験道の霊地であり、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄秘密の世界である。」とある。語るなかれ。聞くなかれ。ひみつの道場。芭蕉も戒めを守り、「奥の細道」で本山についてはほとんど触れていない。あえて、ここに自分の体験を記してみる。本宮に当たるとまず、常駐の神主から「裸足になること」を求められる。500円を払うと紙製の人型とお守りを渡され、清浄の祝詞を読み上げられる。人型に自らの弱点を当てたのち、川に流す。ちなみに「いくら君」は頭と腹と股間に当てた。裸足で赤ちゃけた岩場を登る。そこは湯が沸いており暖かい。お参りをしたのち足湯に入り、現世に戻る。なかなか面白い体験をさせてくれる令嬢であった。こちらの修行僧で苦行ののち即身仏の荒業を行うようだ。

 一時過ぎに湯殿山を出て、「山伏温泉ゆぽか」に向かう。小一時間走る。午前中の荒天は嘘のように過ぎ去り日差しさえ出ている。我々はやはり天におちょくられている。ナビに従い温浴施設に入るも広い駐車場に車はない。そこで私は受付付近に目をむけ叫んだ。「本日休業だって!」嗚呼。どこまで行っても我々は天に見放されている。

 一気に本日のお宿「五色亭」に向かう。3時前に到着。笑うしかないのである。

 

 翌日は、高速を飛ばし、山寺へ。住所も山寺、ポスターも山寺である。芭蕉の「閑かさや岩に染み入る蝉の声」で有名な立石寺。正式名称は宝珠山 立石寺という。でも「山寺」なのだ。土産屋の駐車場に車を停め「根本中堂」から「日枝神社」「念仏堂」などを通り「山門」へ。ここから有料の世界。長い階段である。古の世界を彷彿とさせる奥之院まで800弾の階段を登る。山すべてに多くの子院が並ぶ。最後に大仏殿・奥之院が鎮座する。景色は抜群である。梅雨の終わりの晴れ間の世界。どこまでもさまざまな緑の世界。清々しい。晴々とする。身は清められた。下山し蕎麦をいただき土産を購入し帰路に着く。11時発。横浜に自宅には17時に到着。ありがとうございました。

 

 

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